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みちづれの猫

みちづれの猫

みちづれの猫

唯川恵 著
2019年11月5日発売
ISBN:978-4-08-771685-6
定価:本体1500円+税

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ふり返れば、いつもかたわらに猫がいた──。
人生の様々な場面で、猫に寄り添われ救われてきた女性たちを描く、心ふるえる全七編の短編集。

『みちづれの猫』刊行記念インタビュー

いつもかたわらに猫がいた
──猫と女性の七つの物語

愛猫の死期が近づき、離れていた家族が再び集まることになる「ミャアの通り道」。
離婚以来、荒れ放題の生活を送っていた女性の家のベランダに現れた茶トラが、生活を思わぬ方向へ変えてゆく「運河沿いの使わしめ」。
唯川恵さんの新刊は、人生のさまざまな場面で、猫に寄り添われ、救われてきた女性たちを描く七編の短編集です。刊行にあたりお話を伺いました。新刊とともに、六十歳のときに訪れたという転機、趣味の登山についてもお聞きしています。

聞き手・構成=山本圭子/撮影=冨永智子

犬を亡くした私を救ってくれたのが猫だった

── 『みちづれの猫』はさまざまな形で猫が女性主人公にかかわる短編集ですが、彼女たちの揺れ動く心理が抑えた筆致でリアルに描かれていて、読後に深い余韻を感じるものばかりでした。今回猫をモチーフにしたのは、どんなお気持ちからだったのでしょうか。

 私は十五年以上軽井沢で暮らしていますが、東京から引っ越したのは大型犬を飼うためでした。ところがその犬が九年前に亡くなってしまって。喪失感にさいなまれていましたが、その頃から、家に猫が来るようになったんです。犬がいなくなったとたんに。今は家の周りにやってくる十匹ほどの猫に餌や水を出していますが、すべて野生の猫。軽井沢には何代も人に飼われた経験のない猫がたくさんいるんです。野生だから家に入らないし、人に馴れない。触らせてもくれないけれど、つねに身近にいる存在になりました。それで「私にも猫のことが書けるかな」と考え始めたんです。

── 唯川さんにとって、生活に生き物の気配があるとないとでは大きく違いますか。

 軽井沢の自宅そのものも好きですが、人を家にとどまらせるという意味では生き物の力ってすごいなと思います。生き物がいなかったら、何日家を空けようが何とも思わないけれど、生き物がいたら、一日家を空けただけでもあの子たちは大丈夫だろうかと考える。犬が亡くなって、もう好きな時間まで外出していていいんだと思ったこともありましたが、今は「猫が待っているからもう帰らなきゃ」。犬を亡くした私を救ってくれたのが猫だったんですね。

── 以前「道連れの犬」という短編もお書きになっていますね。

 犬を連れて散歩しているとちょっと怖い場所に入っても大丈夫な気がするように、ある男を道連れにすることでちょっと怖い人生を選んでしまう女たちの話です。今回書いてみて思ったのは、猫だとまた変わってくるなということ。勝手なイメージですが、犬ってメスでも男っぽい感じ。対して猫はオスでも女友達みたいだから、女性にとっては共感するような関係性とか、深い関係性を築きやすいのかもしれません。

── 猫が人生の危機を救ってくれたり、昔の縁を結び直してくれたり、気持ちに余裕を与えてくれたり。読みながら猫の不思議な力を信じたくなりました。

 かつて私は、誰にも言えないことを犬に話していたんです。今のところ猫とはそこまで親しくないけれど、彼らには口を割らないというよさがある。人に話して思うような反応が返ってこないと腹が立つから、むしろ動物相手のほうがいいのかも(笑)。植物に話しかけてもいいのかもしれませんが、やっぱり動物には、よりそうしたくなる存在感がありますよね。私の猫との付き合いは犬に比べればクールだし、猫から愛されようなんて思わない、ずっと片思いでいい、という考え方です。ただ私が猫たちの動向を気にしているように、向こうも私のことをちょっと気にしてくれているみたい。たまに寝坊すると、カーテンを開けたとたん窓の向こうに「遅いんだよ!」と言いたげな猫たちの顔が並んでいる。起きてくるのを待っていたんだと思うと、生活が変わってきますよね。

女性は猫に気持ちを探られるのが好き

── ひとつひとつの作品について伺っていきたいのですが、最初にお書きになったのが「ミャアの通り道」だそうですね。

 猫が出てくる話を書こうと考えたとき、猫のために部屋のドアや襖(ふすま)を少しだけ開けておくという習慣を思い出したんです。聞いた話なのですが、「いいな」と感じて、それを活かして家族のつながりを書きたいと思いました。

── 主人公たちきょうだいが幼い頃「飼いたい」とせがんだ猫の死期が近づき、家族が久しぶりに集まります。猫の寿命は十五年くらいだそうですが、それと人の人生が重なって見えてきました。

 猫はあっという間に大人になるから、最初は飼い主にとって友だちだったのがメスならお姉さん、お母さん、おばあちゃんへと変わっていく。「私がいないとあなたはダメ」という関係から「あなたがいないと私はダメ」という関係に変わったり。そういう経験ができるのが、動物と生きる醍醐味ではないでしょうか。

── 「運河沿いの使わしめ」は離婚後、半ば自暴自棄になった女性が猫を飼い始めて少しずつ変わっていくという、ちょっと不思議な話です。

 猫ってふいに現れてふいにいなくなる感じがしますが、その印象と「神の使い」というイメージが重なったんです。それに、ひとり暮らしの女性が生き物を飼うとしたらやっぱり猫。家で待っていてくれるし、散歩に行かなくてすむし、触りながら体温を感じれば、この子は私の寂しい気持ちを読んでくれていると思いそうだから。多分女性は、猫に気持ちを探られていると感じるのが好きですよね。こっちを向いて、という欲求が強い犬と違って、猫は勝手に人の心のすきまに入り込んでしまう気がします。

── 「陽だまりの中」は突然息子を亡くした主人公の家に、彼と親交があったという若い女性が現れる話ですが、命をつないでいくことについて考えさせられました。

 主人公の家の庭にやってくる野良猫たちのエピソードが出てきますが、これは実話です。うちのテラスに遊びにくる仲のいい猫のカップルに実際に起きたことなんですね。猫ってすごいなあと思って、そこから人の血のつながりについても考えていき、この短編ができました。

── 「猫のお面をつけている間はしゃべっちゃいけない」という決まりがあるお祭りを通して、主人公が祖父母の人生と自分の将来を考える「祭りの夜に」は切ないお話でした。実際にああいうお祭りはあるのでしょうか?

 猫を祀るお祭りは全国にいろいろあるようですが、これは私が創作したお祭りです。お祭りという設定なら、たとえ不思議なルールでも読者に疑問を持たれない。そこが小説のいいところですね(笑)。認知症のおばあちゃんの思い出が大きな意味を持つ話ですが、認知症のことを重く書きたくないという気持ちがあったんです。むしろちょっとロマンチックに、切なくていとおしい感じにしたかった。おばあちゃんに少しでも幸せな時間を過ごしてもらいたい、というおじいちゃんの気持ちを大切に考えて書いた話です。

── 本書には人の死を感じさせる作品がいくつかあります。

 今回は書きながら、人の死の気配を入れておきたいとたびたび思いましたね。自分が年齢を重ねたからでしょうか。以前は上の年代の人を書くことに躊躇があって、私が八十歳の方を書くのは失礼かしらなどと思っていましたが、自分も六十歳を超えて、最近はあまりためらわなくなった。この年齢のメリットですね。

恋愛が絡むと人の心は理不尽になる

── 「最期の伝言」は両親の離婚以来、父親と会っていなかった女性が、彼の再婚相手に頼まれて父親の入院先を訪ねる話です。物語の終盤、予想外の事実が待っていたことに驚きました。

 私もあの展開は予想していなかった(笑)。

── 人には噓をつかなければならないときがある。秘密を守らなければならないときがある。そんな思いが押し寄せてきて、人生の苦みを感じる作品でした。

 一番罪深いのはやっぱり父親だと思います。でもああいう男っているし、恋愛が絡むと人の心は理不尽になってしまうもの。ただ、なんだかんだ言っても、主人公はお父さんのことが好きなんですよね。

── 軽井沢でフラワーショップを営む女性の前に昔の男が現れる「残秋に満ちゆく」は恋のその後の物語ですが、美しい風景もとても印象的でした。

 軽井沢には長く住んでいるので、その魅力も書きたいなと思っていました。この短編に限らず、地方や田舎を舞台にした話がこの作品集に多いのは、金沢出身の私にとって猫はそのへんにいるもので、都会で飼う感覚を持たないから。猫は三、四日帰ってこないのが当たり前だと思っているし、自然の風景と猫を一緒に書きたいという気持ちもあったので、東京以外の場所が多くなりましたね。

── 昔の男と食事をすることになった主人公は、身支度をしながら彼と付き合っていた頃とはメイクのしかたや髪型、服の選び方が変わったことを痛感します。あの女心はとてもリアルですね。

 女性誌での連載をたくさん経験したので、そういうところは鍛えられました。普段と変わらない日だったら、主人公はそんなことを考えない。昔の男が現れたことで、過去の自分が現れてきたんです。ある程度の年齢の女性が過去の自分の目線で鏡を見たら「なぜ、こんなことになっちゃった!?」と思いますよね(笑)。

── 昔の男との再会を機に主人公は過去を見つめ直しますが、彼女のこれからを勇気づけるであろうと思われるのが、ある事情により飼うことになった猫。その猫の登場のしかたが、さりげなくてとても素敵でした。

 私が書きたかったのは、分別のある大人同士の交流。だからラストシーンも、あくまでさらっとを心がけました。

── そして最後の一編が「約束の橋」。常に猫をかけがえのない存在と感じながら生きた女性の一生が描かれています。

 短編で女性の一生を書きたいと思ったんです。あらすじになるのではという心配もありましたが、人生を語ると、やっぱりあらすじになるんですね。細かく考えればきりがないので。書きながら自分を振り返るような感じもありました。彼女の「与えられた人生を生きればいい。ただひたむきに生きればいい」という思いは、私自身の考え方。結果がどうあれ、ひたむきにやれば、ある程度満足できると思うんです。そういう意味では私も、自分の過去をすべて肯定しているわけではないけれど、まあこれでよかったんじゃないかなと思っています。最近の座右の銘は「自業自得」。いい意味でも悪い意味でも、今までやってきたことがこれからに反映していくだろうし、だからこそ受け入れていかなきゃと思っています。

六十歳で訪れた転機「この小説で最後かもしれない」

── 猫にまつわる作品を一冊にまとめてみて、改めて感じたことはありましたか。

 今までの短編集には、後味の悪い話をふたつくらい入れていたんです。そうじゃないと物足りないような気がして。でも今回は最初からすべてをいい話にしたいと思っていました。悲しい、悔しいという気持ちで話を終わらせるのがしんどい年齢になったのかもしれません(笑)。ただ結果的にいろんな人間関係を出せたし、いろんな年代の女性を書けたなと感じています。多分それは、猫が年代を問わず受け入れられる存在だからでしょうね。

── 三十年以上書き続けていらっしゃいますが、これからはどんな小説を書いていきたいとお考えですか。

 六十歳になったときに、仕事のしかたを変えようと思ったんです。私より年齢が上でも、書きたいものがたくさんあって死ぬヒマがないとおっしゃる同業者もいますが、私はそうではない。がむしゃらにやる時期は終わったな、そろそろ生き方や生活を変えたいな、と自然に考えるようになったんです。「この小説で最後かもしれないと思って書こう」という気持ちも出てきましたね。

── 最近のエッセイを拝読して感じたのですが、登山を始められたことも心境の変化に影響していますか?

 最初に犬が九年前に亡くなったとお話ししましたが、登山はその少し前から始めていました。山に登るようになって、精神的にも肉体的にもずいぶん変わりましたね。まったくの初心者から始めましたが、できなかったことができるようになるのがすごくうれしい。若い頃だったらこれくらいできて当たり前と感じたかもしれないことに、「ここまでできた!」と感動できるんです。年をとってから登山を始めたよさはほかにもあって、私の力ではこれ以上進むのは厳しいと感じたとき、同行者に迷惑をかけるし、命にかかわる可能性もある、ここまで登れてよかったんだ、と思って退(ひ)けること、無理をしないこと。私にとって登山はたとえ登頂できなくても、たとえ小さな前進でも達成感を得られるものですが、小説もそうなってきたかもしれません。自分なりの達成感があればいいのかなと、思うようになりましたね。

「青春と読書」11月号より転載

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『みちづれの猫』試し読み ミャアの通り道

ミャアの通り道

 越後湯沢駅は雪に覆われていた。
 吹き抜ける風が頰に痛い。コートの襟を搔き合わせて、私はホームに続く階段を下りて行った。上越新幹線からほくほく線・特急「はくたか」に乗り換えるためである。
 すでに列車は入線していて、九両編成の真ん中にある自由席五号車に乗り込んだ。車内は三分の二ほどの乗客だ。さほど混んでいなかったことにほっとしながら、窓際に空席を見つけて腰を下ろした。
 あと二時間半あまりで金沢に着く。金沢は私の故郷である。東京駅から越後湯沢に来るよりも、まだ倍近くの時間がかかるが、不思議なことに、ほくほく線に乗り換えると気持ちは「もう金沢」という感覚になる。
 車窓の向こうは、雪に覆われた山々が迫っている。空は低く、雲はたっぷりと水分を含んで、見るからに重そうだ。
 車内は暖房がよく効いていた。足元のキャリーバッグからペットボトルを取り出し、お茶をひとくち飲むと、発車のベルが鳴り始めた。ことん、と一度前のめりに揺れて「はくたか」は雪の中を走り出した。
 十四年前、進学のために十八歳で上京した時も、この「はくたか」に乗ったのを思い出す。
 あの時、東京での初めてのひとり暮らしに不安はあっても、期待の方がずっと勝っていた。都会は眩しくきらめいていて、世の中の楽しい出来事をすべて孕んでいるように思えた。そこにさえ行けば、自分の前途もまた、金粉をまとったように輝けると信じていた。

 もちろん、実際のところはそうでもないと、すぐに気づくことになるのだが、それでも、キャンパスや小さなアパートを拠点として、私は少しずつ自分の世界を広げていった。
 大学を卒業して、希望していたイベント企画会社に就職できた時はどんなに嬉しかったろう。仕事は楽しく、毎日が目まぐるしく過ぎて行った。雑用から始まり、現場でのイベント設営を経験し、三年後に念願の企画業務に就いた。
 今は、ショッピングセンターのキャラクターショーから、デパートの催事、映画公開PR、ブランドショップのオープニングパーティまで、さまざまなイベントに携わっている。もちろん、すべてが上手くいくはずはなく、トラブルも満載だ。顧客から厳しいクレームを受けるのも度々だが、冷静に受け止められるほどにはキャリアを積んだ。
 後ろの席から声が聞こえて来た。
「はくたかに乗るの、きっとこれが最後ね」
「ああ、春には新幹線が繫がるからな」
 中年の夫婦連れのようである。
 北陸新幹線が金沢まで開通する話題は、今年に入っていちだんと耳に入るようになっていた。何せ、今までの半分ほどの時間で東京・金沢間が繫がるのである。心待ちにしている人も多いはずだ。在来線のはくたかは、すでに廃止が予定されていた。
 もうひとくち、お茶を口にした。ちょうど御昼時のせいで、弁当を開ける乗客もいる。車内には煮詰めた醬油のにおいが漂っている。
 背もたれに身体を預けて、そう言えば前に帰ったのはいつだったろう、と、ぼんやり思い返した。
 確か三年、いや四年前だ。あれは祖母の法事だった。その時もずいぶんと久しぶりの帰省だったが、たった一泊二日という慌ただしさで東京に戻って来た。
 実家から足が遠のいているのは、何も帰省に時間がかかるからだけではない。仕事柄、休日を潰されるのはしょっちゅうだ。お盆やお正月、ゴールデンウィークといった連休も同様である。
 たまに休みが取れても、そんな時だからこそ、したいことが山ほどある。偵察がてら他社が手掛けるイベントに出掛けたり、映画の試写会や、新製品の展示会に顔を出すこともある。これも仕事のひとつだ。余裕があれば、買い物にも出掛けたいし、旅行にも行きたい、恋人とデートもしたい、と、とにかく毎日が予定で埋まっていて、ついつい帰省は後回しになってしまうのである。
 それは、私だけではなく、三歳上の姉も同じだろう。大阪に嫁いだ姉は、舅姑と共に家族で料理店を経営している。その上、育ち盛りの子供がふたりいる。自分の時間を取ることもままならず、四年前の祖母の法事の時も帰れなかった。また、二歳下の弟は独身だが、メーカーの営業部にいて、それこそ盆暮れなく全国の支社を飛び回っている。きょうだい三人が揃って帰省し、家族全員が顔を合わせたのはいつだっただろう。もう思い出せない。今の私たちは自分たちの生活で手いっぱいの状態だった。
 いつの間にか眠っていたらしい。目を開けると、目の前に海が広がっていた。
 日本海である。親不知と呼ばれるこの辺りは、列車が海岸線をぎりぎりに走る。波のしぶきさえ窓に当たりそうだ。私はガラス窓に顔を押し付けた。生憎、低い雪雲のせいで海は鈍色に沈んでいたが、それでも、この景色にはいつも魅せられる。見逃すと、損をしたような気分になる。
 急な休みを取ってまで帰省を決めたのは、昨夜、母からメールがあったからだ。
『ミャアがそろそろ旅立ちそうです』
 思わず、スマホを持つ手が冷たくなった。
 ミャアは実家で飼っている雑種の雌猫である。
 あれはもう二十年も前、ちょうど今頃の時期だった。外には真綿のような雪が舞っていた。
 私たちきょうだい三人は、夕飯を食べ終え、バラエティ番組を観ていた。父はまだ帰らない。父がいると、この番組は見せてもらえないので、ここぞとばかりテレビの前に陣取って笑い転げていた。まだ、家にテレビが一台しかなかった頃である。
 庭先で何やら妙な声がする、と、言い出したのは弟だ。ちょっと見て来る、と、縁側の戸を開けて下りて行った。が、すぐに慌てて戻って来て、「子猫がいる」と叫んだ。次に飛び出したのは私である。植木の根元で、子猫が蹲っていた。縁側から漏れる明かりに照らされた子猫は、弟と私を見上げると、まるで何かを訴えるかのように必死な形相で鳴いた。小さな背中に雪が積もり、身体が小刻みに震えている。思わず抱き上げていた。
 縁側では姉がすでにタオルを手にして待っていた。猫は姉の手に渡り、身体が拭かれると、焦げ茶と黒の雉模様が浮かんだ。
 生まれて二、三か月と思われた。迷ったのか、捨てられたのか。目には目ヤニが溜まり、毛も薄汚れていた。弟が牛乳を持って来ると、子猫はよほど空腹だったらしく、ぴちゃぴちゃと音をたててうまそうに飲んだ。それから顔を上げて、まるでお礼を言うかのようにみゃあと鳴いた。その愛らしい姿に、私たちは瞬く間に魅了された。
「飼いたい」
「飼わせて」
「ね、いいでしょう」
 三人とも、すっかりその気になっていた。母は困惑しながら「おとうさんに聞いてみんと」と、答えるばかりだった。
 一時間ほどして、父が仕事から帰って来た。その頃には、テレビもそっちのけで私たちは子猫に夢中になっていた。しかし、父は私たちの願いを聞くと、眉を顰め「駄目だ」と、首を横に振った。子猫は満腹したのか安心したのか、座布団の上でぐっすり寝入っている。母も来て、子猫を家族五人でぐるりと取り囲んだ。
「どうせ、おまえたちは面倒をみられんがやろう。かあさんに押し付けるに決まっとるさけな」
 父の意志は固そうだった。
「お願い」
「絶対に面倒をみるから」
「だから、飼わせて」
 私たちは食い下がった。それでも父は頑として受け付けなかった。
 最初に泣いたのは弟である。つられるように私も泣いた。姉も泣いた。いつも喧嘩ばかりしているきょうだいが、こんなにも気持ちをひとつにして父に懇願するのは初めてだった。
 泣きじゃくる三人の子を前にして、さすがに父も折れざるを得なくなったようである。代わりに条件を出して来た。猫の面倒をみるだけでなく、姉には食器洗いを、私には風呂掃除を、弟には玄関掃除を約束させた。私たちは即座に受け入れた。そんなことでこの子猫が飼えるなら容易い仕事だった。
 鳴き声から、名はミャアに決まった。
 たった一匹の小さな猫である。しかし、その存在が、こんなに家の雰囲気を変えるとは思ってもみなかった。
 猫のおもちゃや爪とぎといったペット用品が増えた、というのは確かにある。けれど、そればかりではない。人間以外の生き物の息遣いが、簞笥の上や、テーブルの下や、部屋の隅といった、今まで気にもならなかったここかしこに満ち満ちていて、まるで家そのものが命を得たように脈づいているのだった。
 私たちはミャアを可愛がった。抱っこしたくて取り合いになった。それで時々喧嘩にもなった。ミャアにとっては迷惑な話だったろう。猫というのは元来、子供が苦手な生き物である。やっと順番が回って来たと、ミャアを膝に乗せても、もう勘弁してとばかりに本棚の裏に逃げ込んでしまうこともしばしばだった。
 もうひとつ、ミャアを飼い出してから加わった習慣がある。
 それは、どんな時も、互いの部屋のドアや襖を少しだけ開けておく、というものだ。ミャアが好きに出入りできるようにとの配慮である。冬には隙間風が入り、寒い寒いと文句を言いながらも、決して誰も閉め切ろうとはしなかった。
 ミャアは好き勝手に、その夜のねぐらを決めた。一階の父と母の六畳の寝室。二階の姉と私の共同の部屋。隣の弟の四畳半の洋室。どこを選ぶかは誰にもわからない。人間には決められないし、強制もできない。すべてはミャアの気分次第だった。
 やがて年月は過ぎ、私たちきょうだいは少しずつ大人になっていった。
 いつの間にか、ミャアの世話はみんな母に押し付けていた。約束した役割も済し崩しになった。私たちは、友達との付き合いや部活の練習や、好きな男の子や、進学という、家族以外の世界に関心を深めていった。
 同時に思春期特有の蟠りを抱えてもいた。両親に反抗もしたし、きょうだいで派手に言い争った。互いに無視し合ったこともある。ミャアはそんな私たちを、時に呆れたように、時に哀しげに、濃く縁どられた虹彩でじっと見つめていた。
 一時、弟がひどく荒れた時期がある。中学の二年の頃、サッカー部を怪我でやめてから、家族の誰とも口をきかなくなった。食事時にも顔を出さず、いつも不機嫌な顔をして部屋に籠っていた。
 姉も私も、このまま引き籠りになるのではないかと心配したが、母はこう言った。
「でも、ミャアのためにドアはいつも少し開けてるさけ、その間は絶対に大丈夫」
 そして、実際、その通りだった。弟は少しずつ頑なさを緩めて行った。

 金沢駅に到着したのは、午後三時を少し回ったところである。
 東口には、和楽器の鼓をモチーフに作られた鼓門と、全面ガラス張りのドーム型天井がある。世界で最も美しい駅のひとつに選ばれた経緯もあって、ここを見学するために金沢を訪れる観光客もいるほどだ。
 改札口を出ると、父が立っていた。
「迎えに来てくれたんだ」
「ああ」
 母には東京駅からメールを送っていた。
「わざわざ、ごめんね」
「今日は休みやったさけ」
 久しぶりに聞く金沢弁が、耳に柔らかく届く。父は、こんな喋り方をしただろうかと、少し不思議な気分になる。
 去年、父は定年退職を迎えた。元銀行員だったこともあって、今は週に三回、知り合いの会社の経理を手伝っていると聞いている。
「ミャアはどう?」
「まあ、寿命やしな」
 父は素っ気なく言った。もともと口数の少ない方である。
 ふたりで西口にある駐車場に出た。こちらは東口と異なり、合理的で都会的な雰囲気だ。白線の中に停めてあった、もう十年以上は乗っている父の紺色のセダンの助手席に乗り込んだ。
「こっちはまだ雪が降ってないんだね。越後湯沢は大雪だったよ」
「年末に降ったんやが、みんな溶けてしもた」
 金沢に住んでいた頃、雪が降るたびにうんざりした。交通機関が乱れて、どうにも予定が狂ってしまう。香林坊や片町に出掛けるにしても、水気の多い雪なので革のブーツも履けない。けれども、こうして雪がなければないで、どこか物足りない。
 車は六枚町を過ぎ、武蔵ヶ辻を抜けてゆく。実家は浅野川大橋近くの橋場町にある。信号待ちで止まった時、父が言った。
「さっき、美幸も帰ってきたんや」
「えっ、おねえちゃんも」
 思わず顔を向けた。
「ミャアにどうしても会っておきたかったんやと」
「ふうん」
 私以上に、いつも忙しいばかりの姉である。けれども、その気持ちは何となくわかる気がした。
 玄関に入ると、すぐに姉が迎えに出て来た。
「久しぶり、元気だった?」
 姉が笑う。少し太ったかもしれない。かつては、お洒落にうるさいことを言っていたが、今ではすっかり嫁いだ先の大阪のおばちゃんスタイルが板についている。
「うん、おねえちゃんも元気そう。それにしても、よく時間とれたね」
「かあさんからメール貰って、みんな放っぽらかして来たわよ。ま、こういうことでもないと思い切りがつかないから。さ、上がって、上がって」
 鼻の奥に、乾燥したイグサに似た匂いが広がった。家の匂いが懐かしい。「ああ、帰って来た」と肩から力が抜けてゆく。そんなつもりはなくても、いつもどこかで力んで暮らしている自分に気づく。
 茶の間で、ミャアのそばに座っていた母が顔を上げた。
「わざわざ、帰って来んでもよかったのに。仕事、大丈夫なが」
「うん、有給休暇もたまってたし」
 部屋の真ん中に敷かれた毛布の上に、ミャアは寝かされていた。ピンクと黄色の花柄のタオルが掛けられている。私は畳に膝を突いて、ミャアの顔を覗き込んだ。
「ただいま、ミャア」
 声を掛けても反応はない。指先でそっとミャアの額に触れてみた。そこを撫でると、いつもうっとりとして、手足をふにゃりとさせたものである。しかし今はぴくりともしない。四年前に見たより、ミャアはすっかり小さくなっていた。
 夕食は寿司を取ることにした。帰省すると、母は台所に籠りっぱなしになる。有難いもてなしではあるが、今日はそれより、できるだけミャアのそばにいさせてやりたかった。
「いつ頃から悪くなったの?」
 母がミャアにタオルを掛け直してやっている。
「先月の終わりぐらいかしらね、ごはんも食べなくなって、水も飲まなくなって。どうやら腎機能が低下してるってことらしいんやけど、ほら、ミャアはもう人間でいうと百歳くらいやさけね。お医者さんも、結局のところは老衰でしょうって」
 母は、まるで自分に言い聞かせるように説明した。
「そっか、ミャアはもうそんなにおばあちゃんになったんだ」
「酸素室に入れるといいからって、しばらく病院に預けてたんやけど、お父さんと相談して、やっぱり連れて帰って来たがや。ミャアだって、知らないところにいるのは不安やろうし、最期は私たちで見送ってあげようと思って」
 最期という言葉が耳に硬く響く。
 それが十日ほど前のことだという。医者からは、酸素室を出れば二、三日しか持たないと言われたようだが、ミャアは頑張った。しばらくとても機嫌よく過ごしていたという。それが昨夜、急に容態が悪化したとのことだった。
「でも、すごく穏やかな顔をしてる」
「そうね、こうしているとただ眠ってるみたい」
 姉も頷いている。
 しばらくして、玄関戸が開く音がした。寿司が届いたようだと、姉が立って行った。しかし、賑やかな声と共に茶の間に現れたのは、弟だった。
「あれ、あんたまで来たんか」
 母が呆れたように出迎える。
「うまい具合に時間が取れたもんでね」
「あんなメールして悪かったね。今日どうなるとか、本当のところはわからんのに」
「いや、俺もちょうど、ミャアがどうしてるか気になってたんだ。それにしても、まさか姉ちゃんたちも来てるとはなぁ」
 弟は私と姉の間に割り込んで、ミャアに手を伸ばした。
「ミャア、俺だよ。ほら、目を覚ませって」
 それでもミャアは動かない。久しぶりで会うミャアがあまりに小さくなっていて、弟はためらうように眉根を寄せた。
「ひとり増えたんやし、やっぱり何か作るわ。あり合わせのものしかできんけど」
 と、母は台所に立って行った。父もビールの用意をし始めた。
「廊下に手摺りが付いてたな」
 両親が席をはずしたのを見計らったように、弟が声を潜めて言った。
 それは私も気づいていた。玄関に入った途端に目が行った。
「廊下だけじゃないよ、階段にもトイレにも付けてある」答えたのは姉である。
「さっき、ちょっと聞いたんだけど、かあさん、去年の暮れに、廊下で転んで捻挫したんだって。しばらく、松葉づえをついてたみたい」
 初めて聞く話だった。
「やだ、何で知らせてくれなかったんだろう。あんた、知ってた?」
「いや、全然」と、弟が首を振る。
「大した怪我じゃなかったから、余計な心配をかけたくなかったんだって。だけど、これから先のことを考えると、やっぱり手摺りを付けた方がいいってことになったらしい」
「そっか……」
 思わず息を吐いた。弟も、どう言えばいいのか言葉が見つからないようだった。しばらく、三人とも黙っていた。台所から父と母の声が聞こえて来る。栓抜きはどこだ、食器棚の下の引き出し、つまみはないのか、冷蔵庫にチーズがある、そんな日常的なやりとりが流れて来る。
「さっきさぁ」と、弟が呟いた。「部屋に入って、久しぶりに親父を見た時、どきっとしたよ。何か年取ったなあって。やっぱり定年退職したせいもあるのかな」
 確かに、父の髪はもう三分の二が白髪に変わり、表情にも深いシワが目立つようになっていた。母もいつのまにか背中が丸くなり、ミャアと同様、身体が一回り小さくなったように感じる。
「忙しくて、ここんとこずっと帰ってなかったからな」
 そうね、と、私と姉もつられたように頷いた。
 両親が老いてゆくことに気づかなかったわけじゃない。ただ、頭の中にある両親は、いつまでも昔の姿のままだった。自分より大きくて、怖くて、強い存在だった。しかし、それはただそうであって欲しいという、娘や息子の勝手な思い込みなのだろう。
 玄関で声があった。今度こそ寿司が届いたようである。みな台所の食卓に移った。寿司桶を真ん中にして、母の漬けた漬物や、加賀セリの卵とじや、こんか鰯といった料理が並べられる。ビールが注がれ、食事が始まった。
 姉がビールを口にすると、ミャアに目を向けた。
「ごめんね、あんまり帰って来られなくて」
 ぽつりと漏らしたその言葉が、ミャアだけに向けられたものではないということは、私も弟もわかっていた。
 家を出てからずっと、私たちは「忙しい」を言い訳に、両親のことは二の次にしていた。優先するのは、何よりも自分の予定や都合だった。その間、父と母の傍に寄り添い、ふたりを見つめていたのはミャアだった。胸の奥底から、後ろめたさに似た痛みが湧き上がって来た。
 どうにも場は沈みがちになった。父は相変わらず無口だし、母もどこか上の空だ。
「賑やかにやろうよ」と、弟が言い出した。
「聞いたことがあるんだ。動物って、最期まで耳が聞こえるらしい。ミャアだって、俺たちの明るい声を聞いた方が安心するだろう」
 その通りだと思った。今、私たちがすべきなのは、悲しみを嚙み締めることではないはずだ。
 姉が大阪での話を面白おかしく披露した。弟は出張先の失敗談でみなを笑わせた。私も負けじと、姉や弟に突っ込みを入れた。それに子供の頃の思い出話も絡まって、両親の表情も次第にほぐれていった。
 明るく笑い転げていても、それぞれに厄介なことを抱えているのはわかっている。姉は、姑とあまりうまくいってないらしい。家族経営となると、気苦労も多いのだろう。また、冗談を飛ばしている弟も、すべてが順調というわけではないはずだ。最近、会社は大手に吸収合併された。そのせいで微妙な立場に立たされているのは想像がつく。私自身、半年前に結婚を約束した男に去られていた。その痛手はまだ深く残っている。けれども、誰も愚痴めいたことは口にしなかった。それくらいの振る舞いができるほどには、もう大人になっていた。
 ミャアが意識を取り戻したのは、食事が終わりかけた頃である。
「あ、目を開けたぞ」と、父がいちはやく気付いた。
 私たちは慌てて駆け寄り、ミャアを取り囲んだ。覗き込むと、確かに目が開いていた。
 それは、驚くような澄んだ目だった。その目で、ミャアはゆっくりと父を見た。それから母を見た。次に姉を、そして私を、弟を見た。
 その目は、どこまでも深い海のようでもあった。その時が来た、と、誰もが思ったはずである。ミャアは残された力を振り絞って、私たちに別れを告げているのだ。
 その通りだった。やがて満足したかのように、ミャアは静かに目を閉じた。それが最期だった。
 最初に泣いたのは父である。肩を震わせ、私たちにはばかることなく嗚咽した。母もこぼれる涙をぬぐおうともせず、ミャアの名を呼び続けた。
 私たちきょうだいは、黙ってふたりを見ていた。
 ミャアがこの家に来た日、飼って欲しいと泣きじゃくったのは私たちだった。あの日から二十年。今、泣いているのは父と母だった。
 胸を締め付けるのは、ミャアへの悲しみばかりではない。私たちは確かに今、過ぎた月日の重さを嚙み締めていた。ここにきょうだい三人を呼んだのは、ミャアの最後の意思に違いないと思えた。
 ミャアは逝った。けれども、ミャアの通り道だったあの隙間は、決して閉じたわけではない。いつだって家族と繫がっている。
 だから、心配しないで。
 呟いたのは、姉も弟も同じだろう。
 いつの間にか、縁側の向こうに雪がちらついていた。ミャアがこの家に来たあの時と同じ、真綿のような雪だった。

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著者プロフィール

唯川恵

唯川恵(ゆいかわ・けい)
1955年石川県金沢市生まれ。84年「海色の午後」で第3回コバルト・ノベル大賞を受賞しデビュー。2002年『肩ごしの恋人』で第126回直木賞を、08年『愛に似たもの』で第21回柴田錬三郎賞を受賞。『手のひらの砂漠』『啼かない鳥は空に溺れる』『淳子のてっぺん』など著書多数。

みちづれの猫

みちづれの猫
唯川恵 著
2019年11月5日発売
ISBN:978-4-08-771685-6
定価:本体1500円+税

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