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刊行記念特別インタビュー

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僕らだって扉くらい開けられる

  • 紙の本

行成薫『僕らだって扉くらい開けられる』刊行記念インタビュー

定価:1,600円(本体)+税 11月24日発売

日常から、二ミリくらい浮いた世界

 念動力(テレキネシス)、金縛り(パラライズ)、読心術(マインド・リーデイング)。行成薫さんの新刊『僕らだって扉くらい開けられる』はさまざまな超能力を持つ人々を描いた六編からなる連作集です。しかし、彼らの能力の実態は、たった十センチだけ物を動かせたり、一日に一度だけ数分間相手を金縛りにできるといった〝ショボイ〟もの。世界を救うどころか、使い道も定かではない能力を持った平凡な人々が、それぞれの正義のために奮闘する。笑いながらしんみりし、最後に少し勇気が出る傑作エンタテインメントの刊行にあたり、行成さんにお話をうかがいました。

聞き手・構成=山本圭子/撮影=山口真由子







●個性豊かでショボイ超能力者たち●

――各話の主人公をあまり役に立たない超能力者にされたのは、超能力自体へのご興味があったからですか。

 実はそうでもなくて、最初に頭に浮かんだのは「ちっちゃい能力って誰にでもあるんじゃないか」ということでした。たとえばペン回しがすごく上手(うま)かったり、目隠ししたままお酒の銘柄を当てられたり。「こんな能力、持っていても役に立たないだろうな」という思いと、でもどこか自分の価値を見出したいという思い、その両方を持ちながら日々生きている人を書いてみたいと思ったんです。それと、この作品は「小説すばる」の連載としてスタートしたので、「超能力者だったら能力ごとに書いていきやすいかな」という考えもありました。

――章の冒頭にその話の主人公の超能力、たとえば念動力や金縛りなどが、〝ある本〟からの引用という形で説明されているので、すんなり物語の世界に入ることができました。

 テレキネシスがあるのは今村という青年ですが、彼の超能力は「物体をちょっと右に動かせるだけ」というショボさ。それがとっかかりのアイディアだったので、そこから「ほかはどんなショボイ超能力にするか」を考えていきました。

――超能力者たちのキャラクターはどのようにして生まれたのでしょうか。

 キャラクターの年代や性別といったバリエーションを考えたとき「能力はミスマッチなほうが面白いかな」と思いました。たとえば五十歳の主婦に発火能力(パイロキネシス)があって、イライラしたときにバン! と火をつけちゃうとか。彼女のようなコントロールできない系の超能力者と、使おうにも何かが苦手で使えない超能力者というふたつの系統を考えて、話が回っていきやすいようにキャラクターを組み合わせていった感じです。ストーリーはそれからでしたね。

――特に筆が乗ったキャラクターはありましたか。

 ノリノリで書いたのは「パラライザー金田」の金田です。僕の小説には無茶をする人がよく出てきますが、その集大成みたいになっちゃって。勘違いキャラだし、あんな人がいたら困りますけど(笑)。

――彼にはちょっと切なさもありますね。金縛りの能力を使うたびに、髪の毛がどんどん抜けていく。

 あるはずのものがなくなっていくと、自分の価値が理不尽に減っていく感覚になるんじゃないかなと思います。自分が悪いわけじゃなくても、人におとしめられる種が自分に宿っているんだ、という気にもなる。それを拒否する気持ちと背負わなければならないという気持ちが、自信のなさにつながってしまうんだと思います。金田は法に縛られない正義の味方であろうとして孤軍奮闘していたのですが、正義ってすごく難しい。よく警察が正義だと言われますが、結局は法律の番人であって、純粋な正義と言えないこともあるんじゃないか。現職の警察官の中にも、理想と現実の乖離(かいり)を見て「自分は本当に社会の役に立っているんだろうか」と、息苦しさを感じている方もいらっしゃると思います。だから金田みたいに「自分の正義を貫こう」とする人の話はカタルシスになるんじゃないかな、と。

――今村と金田は心理的に追い込まれ気味のサラリーマンですが、特に「半ばクライアントの奴隷と化して食いつないでいる」という今村の会社はブラックかも? と思いました。

 僕もサラリーマン経験があるのでわかりますが、多分あれくらいの会社は普通なんですよ。そしてそこで働いているのも、普通に大学を出て普通に就職した人たち。特に突出した能力があるわけでもなく、能力があったとしても、ちょっと得意なことがあるくらいの人ばかりです。だから若ければ特に「自分にはどんな能力があって、どういうところで会社に貢献できるか」を探すし、考える。そういう意味で、ショボイ超能力の使いみちに困っている今村は、わりと普通にいる人なんじゃないかと思います。


●頭に浮かぶのは言葉ではなく映像●

――物質に記憶された残留思念を読み取ることができるサイコメトリスト・彩子(あやこ)とその親友・菜々美(ななみ)の女子高生コンビの章には、青春小説のような楽しさがありました。会話もとてもチャーミングですね。

 女子同士の話をかわいく書けるのは、逆に男性じゃないかと思います(笑)。このふたりはわりとサバサバした友情関係ですが、表面だけでなく内面もいい子という感じなのは、僕が見たいところを書いて、見たくないところを書いていないから。もちろん僕らも女子の中身がそれだけではないことに薄々気づいてはいますが(笑)、男子が同じクラスの女子の会話を見ている風景はあんな感じですね。

――彩子と菜々美に限らず、行成さんの小説内の会話はとても読みやすくて自然ですが、特に注意されていることはありますか。

 小説すばる新人賞に応募した原稿は、送る前に一度音読しましたが、今はちょっと慣れてきたので、声に出して読まなくてもある程度会話のテンポがわかるようになりました。ただセリフの語尾は何度も読み返して、結構直しますね。語尾が変わると会話のテンポも変わるし、キャラクターが表れるのも語尾。「ですよね」という敬語なのか、「だし」なのか、「だ」で止めるのか、「よ」まで入れるのか。そこは気にしています。

――小説内の会話と実際の会話にはどうしても違いが出てくるものだと思いますが、それについてはどのようにお考えでしょうか。

 作家にはいろいろなタイプがあって、文学少年・文学少女だった方は、文学的表現のひとつとして書くのでセリフが〝小説っぽい〟感じになる気がします。でも僕の場合それほど小説を読まずに育ってきて、どちらかというと映画や漫画、音楽の影響のほうが大きい。そういうカルチャーを小説に取り込もうとしているので、頭に浮かぶのは文字ではなく映像なんです。頭の中でキャラクターを動かすと互いにしゃべるイメージが見えてくるのでそれを転写する、というか。僕はキャラクターやプロットをカッチリ決めずに書き始めますが、それは自分が意図していないセリフをキャラクターがしゃべり出すことがあるから。そのセリフを小説に生かしていきたいんです。

――人の心を読むこと(マインド・リーディング)ができるサトルの章は、人の痛みを知ることやわかりあうことの難しさが描かれていて、少し他とテイストが違う気がしました。

 教師を辞めて家に引きこもっているサトルは、動いてくれないキャラクター。彼にも、彼とかかわりを持つ人にも背景に重いものがあるので、書くのに一番苦労したかもしれません。僕の小説には突っ走るキャラクターが多くて、こういうタイプは珍しいのですが、今回は物語全体の重しになるようなおっとりしたサトルがいてくれて助かりましたね。

――最後に思いがけない事件が起こり、一連の出来事が見事に着地しますが、エンタメとして面白いだけでなく、誰かに認められたいという人の根源的な気持ちについて考えさせられました。

 認められたいという気持ち、つまり承認欲求は誰しも持っているもの。でも現実は厳しくて、実力があれば認められるわけではないし、チャンスをつかまなければならないことも多い。散っていく人や焦る人のこと、満たされないつらさについても考えてしまいますね。

――先ほど出た正義の話とともに、行成さんのデビュー作『名も無き世界のエンドロール』にも通じるテーマですね。

 テーマというと大げさですが、たとえば政治や戦争といった意見が分かれる大きな問題については、いったん自分のこととしていろいろな視点から考えてみる、ということはやっています。作者の考えを主張する小説もありますが、僕は物語には不要だと思っています。大事なのは、自分の考えを根っこに持たせつついかにばかばかしく伝えるか、ということ。エンタメはイデオロギーや思想にかかわらず、どんな人でも楽しめるものであることが理想だと思います。

――超能力は書きようによっては壮大な物語になると思いますが、行成さんの手にかかると等身大の人の話になるんですね。

 僕も中二病を患っていた頃は大きな問題、たとえば「いかにカッコよく死ぬか」みたいなことをよく考えたので、大きな話にしがちでしたが、今はナルシシズムが消えて〝おちゃらけ〟ができるようになった。へそ曲がりなところがあるので、大きなテーマはしょぼく書くほうが面白いし、ありえない世界の話より日常から二ミリくらい浮いた世界の話のほうが面白いと思うんです。


●キャラクターがラストを見つけてくれる●

――デビューされてから五年の間に、作家として個人として、何か大きな変化はありましたか。

 一番大きいのは、IT系の企業を辞めて会社員でなくなったということですね。本来はあまり冒険しないタイプですが、会社員としての仕事が忙しくなったために、小説に頭を割く時間がなくなった。締め切りというものがあると、小説を書く難易度がぐんと上がることもわかりました。自分のことをわりと小器用だと感じていたので、両立できるかなと思っていましたが、やはり難しかったですね。それに、初めて書いた長編で賞をいただいたので、小説の書き方のセオリーもわかっていなかったんです。しばらくは足踏み状態だったので、デビューして五年といっても感覚的には二、三年目くらいです。

――作家専業になられて、私生活で気をつけていることはありますか。

 本当に自由に生きちゃっていますね。自然に思うままに暮らしてみて、僕の生活は二十四時間で回っていかないということに気づきました。書きたいときに書き、書けないときは寝ていると、体内時計がどんどんずれていく。でも、そのほうが合理的に時間を使えると思っています。

――作家の中には住まいとは別に仕事場を持って、会社に行くように通って書く方もいらっしゃいますが、そういうタイプではないのですね。

 仕事場を持つのが正解なのかもしれませんが、通勤みたいになるとフリーランスになった意味がない気がして(笑)。それに、満員電車からも解放されましたしね。会社員時代は、混雑率が日本でも有数という路線で通っていたんです。

――それは大変でしたね。

 そうですね。小説の中に、登場人物の金田が電車内で痴漢に間違われるシーンを書きましたが、会社員時代の後輩があやうく痴漢と間違われそうになったことがあって、「もし自分がそうなったら」というシミュレーションをしたんです。さきほど「政治や戦争といった大きな問題もいったん自分のこととして考えてみる」と言いましたが、こういう身近な問題の場合、具体的に「どうすべきか」をすごく考えます。要は視点を自分ではなく〝自分を眺めているカメラ〟に切り替えてみる感じ。以前作家の村山由佳さんと対談したときに、村山さんに「(カメラのような)引いて見る目は物書きにはなくてはならないもの」と言われましたが。

――その村山さんとの対談で行成さんは「小説を建物に置き換えてみると、ストーリーである外観はもちろんですが、部屋と部屋がどうつながりを持つかとか(中略)、そういう〝つくり〟の部分を考えるのが楽しい」とおっしゃっていました。それについては、今どのように感じていらっしゃいますか。

 デビューした頃はできることが少なかったので「骨組みさえできていれば小説になる」と思っていました。今はもっと内装の細かさとか建物の空気感も考えるようになりました。ただやっぱり書いていて楽しいのは、キャラクターが動いて、物語の〝つくり〟がうまくはまったとき。いつものように今回もオチを決めずに書き始めましたが、キャラクターたちが道筋を見つけてくれて、最後はきれいに落とすことができたのでよかったです。

――行成さんが楽しく書いていらっしゃることが、読みながら伝わってきました。

 長い話を書くのはしんどいけれど、結末がピタリとはまることが見えてからのラスト五十枚くらいはすごく楽しいんです。

――最後に、物語の鍵になっている三葉(みつば)食堂のスタミナ肉炒め定食は本当においしそうでしたね。

 よかった(笑)。小説を読んだ方から「あのごはんを食べてみたい」とか「親に電話したくなった」などと言われるのはうれしいですね。自分が書いたもので確実に人を動かした、という感覚を持てるので。

(「青春と読書」12月号より転載)


行成薫さん【著者プロフィール】
行成薫 ゆきなり・かおる
作家。1979年宮城県生まれ。東北学院大学教養学部卒業。2012年『名も無き世界のエンドロール』(「マチルダ」改題)で第25回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。著書に『バイバイ・バディ』『ヒーローの選択』がある。


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