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特別対談

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夫婦の中のよそもの

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『映画好きがみんな「クストリッツァ大好き!」という理由』
宮内悠介×月永理絵



エミール・クストリッツァ最新作『オン・ザ・ミルキー・ロード』が上映中! 8月29日、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSにて、クストリッツァファンのおふたり、宮内悠介さんと月永理絵さんのトークショーが行われました。題して『映画好きがみんな「クストリッツァ大好き!」という理由』。その一部をお届けします。



混沌の中の清らかさ

月永 宮内さんはクストリッツァが一番お好きな映画監督だと伺いました。そもそものクストリッツァとの出会いと、魅力についてお聞かせいただけますか。

宮内 出会いはテレビで観た『黒猫・白猫』(1998)だと思います。政治性を排除した大人のラブコメディとでも言うのでしょうか、渋くていい映画だと思ったものです。のちにDVDを集めたりして、日本で発表されたものは全て観ました。
 クストリッツァの魅力は、それはもうさまざまですので一言では表せないのですけれど(笑)。例えば映画に集中できないぐらいの圧倒的な音楽、雑然とした空気感、一筋縄ではいかない悪人、愛すべき動物たち、紛争を生きる人々、ろくでなしのおっさんと、とにかくいろいろな要素がカーニヴァル的な雰囲気を醸し出しながら、その中に壊れていない空間や清らかさがあるように感じています。

月永 “壊れていない”というのは、例えば新作の『オン・ザ・ミルキー・ロード』や一番有名な『アンダーグラウンド』(1995)にしても、むしろ村や家が破壊されていくほうが印象的な気がしますが、その中で壊されずにいる世界ということですか。

宮内 というよりは、メタ化されていないと言うべきでしょうか。

月永 そういった対比で言うと、監督自身がインタビューで語っていたことですが、仲のいいペーター・ハントケという作家に、“きみの映画はシェイクスピアとマルクス兄弟のちょうど中間にある”と言われたそうです。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のような、高尚かつ誰もが知っている物語と、マルクス兄弟のようなスラップスティック的なコメディ、その王道な対極の中間に、どっちの要素もきちんと両方押さえているのがクストリッツァの映画なのかなと思っています。



名作『アンダーグラウンド』と、交互に現れる作風

月永 代表作ともされている『アンダーグラウンド』ですが、制作時期としては、ボスニア紛争(1992〜1995)の最中にアメリカでジョニー・デップと『アリゾナ・ドリーム』(1993)を撮ったその後ですね。このタイミングでボスニア紛争を直接的に扱う作品をつくるというのは、経歴から見ても大きな転換期ですよね。

宮内 これは私の想像ですが、監督は、『アリゾナ・ドリーム』で一旦ユーゴスラヴィアからそむけてしまった目を戻して、直視してみようと思ったのかもしれないと考えています。
 この作品は、全編悲劇的なブラックユーモアに満ちた、ユーゴ50年を描く感動作。ユーゴスラヴィアがナチスに占領されていたころから話が始まり、主人公たちはレジスタンス活動をやっていました。ところが、主人公のマルコが親友クロを裏切り、ユーゴが独立した後も、戦争がまだ続いていると偽って、地下の武器製造工場に友人たちを閉じ込め続け、冷戦時代に入り、そのゆがみがやがて悲劇につながる……といったふうにまとめられるでしょうか。これで多分前半ぐらい。実を言うと、30分くらいしかない最後の第三部が好きなのですが。

月永 歴史や物語の重要なことが怒涛の勢いで起こるのが第三部ですよね。どういうところがお好きですか。

宮内 私の場合は、冷戦パートの、友人が友人を裏切り偽りつづけている状況がややしんどくて……。裏切りながらそれでも善良であろうと願っているマルコも、中盤にある婚礼のシーンも好きなのですが……。もし悲劇が苦手な方は、一部、二部の144分を頑張って観てください。第三部に至福の瞬間が待っています。

月永 私は前半はコミカルな場面として印象に残っていたので、友達を裏切っていてつらいというのは新鮮ですね。確かに、それまでの長い長い序章を描いたのは、あのラストシーンに持っていくためだったようにも思えます。そしてこの第三部含め、『アンダーグラウンド』が論争を引き起こしてしまうわけですね。

宮内 2度目のパルムドールを受賞するなど世界的に評価されたものの、政治面においてさまざまな批判が紛糾して、監督が少し嫌になってしまった、ということもあったようです。
 そのあとに撮られた『黒猫・白猫』が、政治色を排したラブコメディになっているのは、そうした理由があったのかもしれません。

月永 『黒猫・白猫』は、全てが丸くおさまるハッピーエンドですものね。

宮内 クストリッツァの長編フィクション映画の内容を時系列に見ていくと、それぞれ動機は違うと思いますが、政治的なものと非政治的なものが概ね交互につくられているように見えます。圧政時代のユーゴを描いた『パパは、出張中!』(1985)から、個人の運命の喜悲劇であり、初期の集大成と言えそうな『ジプシーのとき』(1988)。祖国のボスニア・ムスリム社会を追われ、アメリカに移ってからは非政治的な『アリゾナ・ドリーム』、そして『アンダーグラウンド』からコメディ『黒猫・白猫』へ。悲劇と喜劇のせめぎ合いのようなものも見られます。監督が『アンダーグラウンド』をつくっているときは、『黒猫・白猫』のようなハッピーエンドの作品をつくりたい思いがあり、『黒猫・白猫』を撮りながらも、悲劇への志向がどこかにあったように感じます。その両義性がようやく融合したものとして、私は実は『ライフ・イズ・ミラクル』(2004)が一番好きな作品なんです。



『ライフ・イズ・ミラクル』の光る一瞬

宮内 『ライフ・イズ・ミラクル』は、これまで、政治と非政治の間を振り子のように揺れていた監督が、ついに政治と王道ラブストーリーの要素をまとめ上げた作品だと捉えています。物語としてはボスニアが舞台で、序盤はスラップスティック的な場面も多いのですが、そこから戦争が始まり、主人公の息子も徴兵されて、悲劇的な要素が徐々に際立ってきます。
 ところで、先の『アリゾナ・ドリーム』にもこの『ライフ・イズ・ミラクル』にも、同じようにボスニア紛争のニュースが流れるシーンがあります。前者ではジョニー・デップが、興味なさげにラジオを切ってしまうのに対して、後者では息子を徴兵されてしまったお父さんが、まるで他人事のように語るニュースに耐え切れず、テレビを窓から放り投げて、さらにショットガンか何かで撃ってしまう。状況は「ニュースが切られる」と同じものなのですが、一度虚無的にペシミスティックに撮った映像を、次には直視して撮り直したという側面がある気がします。

月永 確かにそうですね。

宮内 ちなみに、この作品で私が一番好きなシーンは、息子が徴兵されたのち、かつて親子でサッカーをしていたボールが崖下に転がっていき、お父さんがそれを追いかけ、つかまえたはいいもののこらえ切れずに泣いてしまう……という場面です。

月永 一瞬、本当に転がり落ちていく錯覚を起こす場面ですね。テレビを捨ててしまうくらい、政治的なものを考えないようにしている父親が耐え切れなくなる、一瞬だけど一番象徴的な場面なのかなと思いました。息子が徴兵されるとわかった当初も、母親が深刻に事態を受けとめている一方、父親は戦争は起こらないとか大丈夫だとか言って、どこか現実から少し逃げようとしている。そういう逃避した主人公である父親が、捕虜であるヒロインと出会って変わっていくわけですね。

宮内 この出会いが154分の映画のぴったり真ん中のあたりです。敵に捕らえられた息子との捕虜交換のために連れてこられたヒロインが、徐々に、息子を徴兵された主人公に心を開いていく。
 ちなみに前述のサッカーボールを追いかけていくシーンの直後に一瞬、窓を閉じるヒロインの姿が描かれます。息子の残したボールというのは父親にとって、なくしたくない大事なものです。それを抱きとめて、こらえ切れずに泣いてしまう。その様子をちらりと目にしたからこそ、心に傷を負っているヒロインも心を開くことができたのかもしれません。本当にこういう細かな機微が多くて。

月永 クストリッツァの映画って、長い場面は長いんですけど、大事な一瞬のシーンがどんどんものすごい量で入ってくるので、何回観ても「あれっ、そんな場面あった?」と初めて気づかされることが多い気がします。



実は王道な脚本?

宮内 今回、全作見直しまして、プロットをノートにつけてみました。左ページが分刻みの時間軸とプロットで、右ページがストーリーと私の感想です。で、プロットのところに赤い線をひき、伏線のつながりが見えるようにしてみました。これは『黒猫・白猫』のページですが、わりと適当なラブコメディのようでいて、かなり密に構成されています。密な伏線によって、観る側のエモーションが動かされていることがわかりました。

月永 ノート、すごいですね! こんなふうに考えたことがなかった……。確かにクストリッツァ映画は、何も考えずに観られますが、実はプロットがものすごく練られていて、伏線を怒涛の勢いで回収していく、ということでしょうか。もともとプラハの芸術アカデミーで映画を学んで、在学中に短編で賞をとった人でしたね。ちなみに、伏線のつながりとは、具体的にどういうところがありましたか?

宮内 例えば前半20分ぐらい、空箱を伏せて、開くとヒヨコが出てくる、手品なのか、マジックリアリズムなのかわからないような小さなシーンがあります。そして後半では、ある人物が箱をかぶって婚礼から逃げようとして、箱を開くと、中からアヒルが出てくる。実はそれが有機的につながっていたりします。

月永 確かに……。最初のヒヨコのマジックも見ているはずなんですけど、関連が全く思い出せませんでした。ストーリーの本筋とあまり関係ない部分ですよね。

宮内 どの作品も、あたかも延々とお祭りをやっているようでいて、実は伏線と要点が詰め込まれています。月永さんのお好きな『アンダーグラウンド』の30分にわたる婚礼シーンですが、そこでも伏線を回収しています。物語序盤で、マルコと悪友のクロ、そして三角関係をつくる舞台女優のナタリア、この三人が頭を寄せ合って歌う様子が下から映されるシーンがあります。これが後の婚礼の場面で同じように繰り返されるのですけれど、そのときはもう時代が変わっており、全く違う意味を持ってしまう。

月永 こういう繰り返しの場面が、実はたくさんあるんですね。作家の宮内さんから見て、こういう物語やプロットのつくり方はどう思われますか?

宮内 『アンダーグラウンド』は、一見とてもアヴァンギャルドな、映画の作法などを無視した作品であるかのように見えますが、ある意味ではわかりやすいつくり方をされてもいます。例えば、時間軸がきれいに四分割されて、真ん中のところで主人公たちの運命を分ける決定的な出来事が起きる……といったようにです。『ライフ・イズ・ミラクル』のちょうど真ん中は主人公とヒロインの出会いのシーン。『アンダーグラウンド』の場合は、マルコとヒロインのナタリアの喧嘩の場面で、重要な台詞が出てきます。この意味では、他の作品も、ドキュメンタリーさえ、わりと王道なつくり方がされているように思います。



花嫁のベールは何度飛ぶのか

月永 先ほどの繰り返しにも関連しますが、クストリッツァ作品は自分の過去作へのオマージュというのも多いですよね。びっくりするほど、同じ出来事が作品を跨いで登場します。例えば結婚式。

宮内 というか、異様なほどに冠婚葬祭が好きですよね。なぜでしょう。

月永 大体まず結婚式があると葬式が1セットになっている。そして、結婚式が好きなのか、花嫁が好きなのか、必ずウェディングドレスが出てきて、ベールを被っていて……。

宮内 そして、必ずそのベールは飛んでいく(笑)。

月永 このこだわりが、どこから来ているのかは気になります。『アンダーグラウンド』で、若い新郎が川の中でウェディングドレスを着た花嫁と出会う幻想的な場面がありますが、実はジャン・ヴィゴというフランスの監督の白黒映画『アタラント号』で同じような印象的な場面がありまして。船の上で暮らす人々の話で、夫婦が喧嘩をして妻が逃げ出してしまった後に、夫が幻想の夢の中で、川の中で泳ぐウェディングドレス姿の妻と出会うというものですが、やはりこれは『アンダーグラウンド』が『アタラント号』にオマージュを捧げているんだろうなと思います。ただ、絶対それだけじゃないというか……。いろんな作品で結婚式の場面があって、お嫁さんがふわふわ飛び、ベールが飛びますよね。まるで記号のように、何度も何度も。

宮内 かといって、二番煎じ感はないと思えるのです。例えば初期作の『ジプシーのとき』で、ウェディングドレスのベールだけが飛んでいく印象的なシーンがあって、これは言ってしまえば死を象徴しているわけです。その後、同じようにベールが飛ぶ、もしくは水の中を流れていくシーンが、いろんな作品に何度も出てきますよね。『ジプシーのとき』であんなにも美しく描いたものを何度も出したら、ふつう二番煎じだろうと言われそうなものなのに、全て溶け込んでいるように感じられるのはすごいですよね。

月永 ええ、こんなに繰り返しているのに、新しい作品の中で違和感もないし、オマージュを超えたものにもなっているし。こういうことができるのって、クストリッツァ以外あまり思い浮かびません。

宮内 それから、オマージュとかセルフパロディとか、あたかもハイコンテクストであるかのようで、事実そうなのですが、予備知識がなくても必ずおもしろく観られるようにつくられています。

月永 そうですね。クストリッツァの作品は、ファンからしてみるとお約束のように喜べるポイントもありつつ、初めて新作を見る人でも知らずに楽しめるし、何でしょうね、この不思議な感じ。謎は解けません。



新作『オン・ザ・ミルキー・ロード』と宮内作品

月永 さて新作の『オン・ザ・ミルキー・ロード』ですが、見どころとしては、まずは主人公を監督自身が演じていることと、イタリアの至宝と呼ばれたモニカ・ベルッチがヒロインというところですか。かなり本気でラブストーリーを演じていますよね。ちょっと驚きました。

宮内 ストーリーを説明しますと……どこかの国にとある村と戦場の前線があります。この戦場はどこかというのは明かされません。これが『アンダーグラウンド』と決定的に違う点です。より大きな意味での紛争であるわけです。そんな中、主人公コスタは動物と心を通わせ、清い心を持ちながら、村でもらったミルクを戦場の前線に届ける仕事をしています。で、その心の清い役を自分でやる(笑)。

月永 別の若い女の子にもモテモテで、ベルッチにも好かれて。これはすごいですよね。

宮内 それから、監督の作品はこれまでもたくさん動物が登場しますが、その総出演というのもポイントかもしれません。ガチョウの群れの行進、主人公が飼いならしているハヤブサ、熊。その動物たちとの心の通わせ方も尋常ではないですよね。

月永 そう、かなり巨大な本物の熊と戯れるシーンがあって……これ、どうやって撮ったんでしょう(笑)。

宮内 本当に仲よくなったとのことです(笑)。

月永 中でもロバが大きな役割を果たしますけど、これも過去作へのオマージュになりますね。私は『ライフ・イズ・ミラクル』を思い出しました。

宮内 ほかに、『アンダーグラウンド』を思わせるシーンもやはりあったりと……。

月永 戦争シーンについていえば、見ている側はやっぱりボスニア紛争のことが思い浮かびます。ただ、やっぱり今後はこことは決別していくのかなと。かなりもうやり切ったような描かれ方にも見えますよね。

宮内 紛争を扱うという意味では、監督のある種の集大成になっていると思います。
 監督にとってはユーゴ問題は非常に大きなものだけれど、この作品では、世界が変わった冷戦後の秩序が模索されている……つまり、ユーゴは監督にとって個人的な大きなテーマですが、そこにこだわるのではなく、新たな世界の問題に目を向けなければならないと、そう思ったように感じられました。そうした判断と自身のユーゴ紛争への思いが重なり合ったものが『オン・ザ・ミルキー・ロード』なのかなと、個人的に解釈しています。

月永 クストリッツァ映画って、常に紛争や戦争の中で揺れ動く人々や混乱を題材にしながら、ちょっと予想もつかないようなキャラクターやドラマを描いているじゃないですか。それで今回、宮内さんのご著書『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA刊)を思い浮かべたんです。もちろん話は全く違いますけれども、この小説も、故郷を失った様々な人々が集まった理想郷のような架空の共同体を舞台にして、そこでまた内戦が起こっていく物語ですし、コメディタッチな場面もありますよね。この小説とクストリッツァの映画って、ご自身の中では何かつながるところはあるんでしょうか。

宮内 ざっとストーリーをご紹介しますと、中央アジアの干上がったアラル海に各地の流浪の民が集まって国をつくってしまった。しかし不安定な国なので紛争が起きてしまう。けれども、人々は明るくユーモラスに事態に立ち向かっていきます。
 私の場合、クストリッツァが一番好きな映画監督で、常に一つの理想のように思っているところがあるので、確実に影響を受けています。とはいえ、今回はとりあえずはブルース・ブラザースと称しています。後半、歌劇がテーマになってきますので。

月永 なるほどブルース・ブラザース、確かにそうですね。ただ、読んでいると、クストリッツァ作品に必ずあるカーニバルのイメージがわいてきまして。例えば本文中で登場する軍人のおじさんはクストリッツァの映画に出てきてもおかしくないと感じました。個人的に好きな場面なのですが、危機的状況を軍隊に伝えるために、主人公の女の子が白いナース服を着て山の上から走り下りてきて、それを軍人のおじさんたちが見つけるシーン。これがとても映像的に思い浮かびまして、ぜひ映画でも観たいなと感じました。

宮内 私自身、映画的な作品にしたかったので、うれしいご感想です。

月永 クストリッツァの映画をお好きな人は、ぜひ『あとは野となれ大和撫子』を読んでみて、私と同じ感想を抱くかどうか確認してほしいなと思います。



ずるい小説『夫婦の中のよそもの』

宮内 そういえば、クストリッツァの小説集『夫婦の中のよそもの』が日本で翻訳刊行されましたね。わりと親しみやすい翻訳で、かつクストリッツァそのものみたいな内容ですので、とてもお薦めです。

月永 私も読みました。この中の「蛇に抱かれて」という短編が、『オン・ザ・ミルキー・ロード』の原作というわけではないのですが、ベースのお話は一緒ですね。ちなみに、宮内さんは今回クストリッツァの小説を読んでみて、イメージって変わりましたか。それともイメージどおりでしたか。

宮内 これは、どうしてもクストリッツァの映像で浮かんでしまって、客観的に読めないんですよ。ずるいと思いました(笑)。

月永 小説というより、クストリッツァの世界という。

宮内 例えば冒頭に「すごくヤなこと」という独立の短編が入っています。家の地下室のバスタブで少年がコイを飼っていて、そして、そのバスタブの上にはなぜか「すごくヤなこと」と書かれた板が貼られている。そして、少年は嫌なことがあると、そのバスタブに入っていって、コイに語りかけるんです。これはもうクストリッツァの映像で浮かんでくるでしょう。ちなみに『アリゾナ・ドリーム』と同様、“魚は全てを知っている”という台詞も出てきたりします。

月永 本を読んでいると、「もしかして映画で観たことあるかな?」というような気さえしてきますよね。水に潜るというのは、いろんな過去作中にもあった表現ですし、ほかにも映画とかぶる場面がこの小説の中にたくさん出てきます。こちらは6編の短編集なんですが、そのうち4編は連作になっています。この4編の主人公の少年と父の親子関係も、いろいろクストリッツァの映画を思い浮かべますね。

宮内 アレクサという少年を主人公とした、成長譚というか、成長しそうでしない話が連作になっています。その最後の短編が「夫婦の中のよそもの」という表題作なのですが、見方によっては、『パパは、出張中!』と対をなすストーリーになっています。

月永 お父さんの真実というか、もう一つの側面を見ちゃうという意味では、同じですね。

宮内 あと、もう一つの読みどころとしては、多分、まだユーゴがあったころの、監督本人の幸せだった少年時代です。クストリッツァ監督って、インタビューなどでは、わりととぼけたことを答えたり、本当なのかわからないことをよく言うんですけど、その反面、正直過ぎるようなところもありまして。例えば父親を心臓発作で亡くした後につくった『アリゾナ・ドリーム』に出てくる主人公のおじの死因は、同じ心臓発作なんです。自分のライフストーリーに煙幕を張る場面もあれば、正直過ぎるぐらい忠実なときもある。その監督の少年時代、もっと言えば悪い友達とつるんでいたころの少年時代を垣間見ることができるという意味でも、この小説集は興味深いです。おそらく、一定の割合で事実そのままが含まれています。

月永 そういえば、以前読んだ評伝では、少年のころにおばさんを訪ねていったときに初めてクストリッツァがユーゴの外に出た、という話が書かれていました。この本にもおばを訪ねる場面がありますよね。やっぱり本人の体験を反映させているところもあるんでしょう。

宮内 結局、私が真に魅力を感じているのは映画作品より監督本人なのではないかという気もしてきます。もしかしたら、クストリッツァを語るためには、やはり『アンダーグラウンド』の冒頭にもあったこの一言からはじめなければならないのかもしれません。昔、あるところに国があった、と。つまり、作品と監督自身のライフストーリーと、それからバルカンの歴史と、それらが三位一体となって重層的な魅力をなしているのかなと。

(了)


宮内悠介さん宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)
1979年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2010 年「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞してデビュー。12 年、同名の作品集で第33回日本SF大賞、13年、第6回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody 賞、14 年『ヨハネスブルグの天使たち』で第34回日本SF大賞特別賞、17 年『彼女がエスパーだったころ』で第38回吉川英治文学新人賞、同年『カブールの園』で第30回三島由紀夫賞を受賞。他の著書に『エクソダス症候群』『アメリカ最後の実験』『スペース金融道』『月と太陽の盤 碁盤師・吉井利仙の事件簿』『あとは野となれ大和撫子』(第157回直木三十五賞候補作)など。



月永理絵さん月永理絵(つきなが・りえ)
個人冊子『映画酒場』の発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』(株式会社Sunborn)の編集人。普段の仕事は、書籍や映画パンフレットの編集や、映画宣伝の手伝いなど。『メトロポリターナ』でコラム「映画でぶらぶら」連載中。『現代詩手帖』で「映画試写室より」を隔月連載中。







映画『オン・ザ・ミルキー・ロード』公式サイト
http://onthemilkyroad.jp/
配給:ファントム・フィルム


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