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刊行記念特別インタビュー

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家族のあしあと

  • 紙の本

累計470万部を突破した、椎名誠による家族小説の金字塔『岳物語』シリーズ。シーナ少年の眼から戦後日本の風景を描く、最新刊『家族のあしあと』発売!

定価:1,300円(本体)+税 7月26日発売






椎名誠さんの新刊『家族のあしあと』が刊行されます。
椎名さんの『岳物語』の連載第一回が掲載されたのは1983年。連載当初保育園生だった岳さんも、いまでは三人の子どもの父親。「じいじ」となった椎名さんは、『三匹のかいじゅう』(集英社)『孫物語』(新潮社)などで、孫たちの物語を書かれていますが、今度の新刊は、ご自身の幼稚園生から小学校高学年までの体験をもとに綴られています。
椎名さんは五歳頃に世田谷区三軒茶屋から千葉県の酒々井へ引っ越し、ほどなく同じ千葉の海辺の町、幕張へ。以降、高校卒業まで同地で暮らすことになりますが、一緒に暮らす五人きょうだい(長兄、姉、次兄、本人、弟)の他に四人のきょうだいがいるなど、椎名家には複雑な事情があり、椎名少年にとってはわからないことだらけ。そうした謎も徐々に解かれていきます。
「今頃になって、ぼくは自分の人生についていくらか本気で考えるようになってきた」という椎名さん。これまで未開拓であったみずからの家族について書かれるにあたっては、子どもや孫たちのことを書くのとはまた違ったご苦労があったそうです。


人生のなかでほんの一瞬のできごと

──これまでご両親やごきょうだいのことを正面から書かれることはなかったと思いますが、今回書こうと思われたのは?

いくつかの要素が自然発生的に集まってきたんだと思うんですよね。前から書きたいと思っていたわけでもないし、誰かにいわれたから書いたわけでもない。編集者と話しているなかで、『岳物語』を書いているときには気がつかなかったけれど、自分がこの少年ぐらいのときはどうだったんだろうかというのが、なんとなく頭に浮かんできて、それが一つの動機になっていますね。
もう一つ、息子の岳君に子どもができて、おじいさんと孫という関係で彼らの成長ぶりを見ているうちに家族としてのつながりを感じて、それならこのつながりの大元のほうのことを振り返ってみようかと、それが具体的な形になったわけです。
それから、まったく関係ないところで、映画の『エイリアン』がいきなり出てくるんです。監督のリドリー・スコットが最初に『エイリアン』(1979)をつくったときには、続編を考えていなかったと思う。ところがヒットしたので、その後監督を替えて続編が三作つくられたわけですが、2012年になって、リドリー・スコットがいきなり『エイリアン』の前史となる『プロメテウス』という映画をつくった。第一話から順番にできたわけじゃないので、前史といってもかなり無理があるのだけれど、きっとどうしてもつくりたかったんでしょうね。ぼくの場合もその伝で、ほんとうなら『岳物語』に書いておけばよかったこともけっこうあって、もどかしく感じながらも、『プロメテウス』と同じように、これはこれで自分の物語だと思って、書いてみたいと。それがもう一つの動機づけになっているんですよ。

──『岳物語』の場合は、現在進行形の形で書かれていたわけですが、今度の本では過去の記憶を少しずつ掘り起こしていくという作業ですね。

ずいぶん細かいことまで覚えていますね、ってよく驚かれるんですけど、覚えてはいないんです。書いていると自然と映像が出てくる。映画でも、場面場面を構成していったら全体ができあがったみたいなことがあるじゃないですか。今回の話も、ある時期のことを書いていると、ありがたいことに、古い写真のようなものが頭の中に浮かんできて、それが動いていく。あのひきだしを開けるとこんなものがあったとか、あそこのふすまの向こうはどうなっていたのかとか、ふだんはまったく考えていないんだけれど、小説を書いているうちにいろいろなことを思い出してくる。

──しかも、正確に調べて書き記すのではなく、多少事実とは違っていても、頭に浮かんだ印象的な記憶をなるべくそのままに書かれています。

夢みたいなもので、浮かんでくる光景がモノクロなんです。そこにいた人物たちの所作や行動、口癖とか食べていたものとか、かすかに覚えている交わされた話題とかいうものが、いくつものか細いブドウの蔓が絡み合うように頭に浮かんでくる。それを引っ張ると、危うく切れそうになりながらも隠れていたものが見えてくるという、そういう綱渡りみたいなところがありましたね。

──子ども時代の椎名さんには知り得なかったこともいろいろとあったと思いますが、その辺のことについて、お姉様から改めて伺ったのですか。

大きくなって姉から断片的に聞いていたものを思い出しながら書いていったわけですが、改めては聞きませんでした。家族の複雑な事情については、姉が一番詳しく知っている。歳も離れていたし、女の人ですから、男の目では見えないようなものもよく見えていたんですね。だから、後になって、ああ、あれはそういうことだったのかとか、ずいぶん経ってから腑に落ちたことがけっこうあります。

──引っ張り出したか細い蔓が、そうした話によって肉付けされていく。

おぼろげに出てきた人々が生き生きと動き出してくるというふうな気配は感じていましたね。特に母の弟の「つぐも叔父さん」とかね。その一方で、すぐ上の兄とはどうしてあまり仲良くなれなかったのかわからないままに、今回の本は書き終えてしまったところもあります。

──第二話の「長椅子事件」で、「こんなふうにして家族が全員そろって、あれやこれや言いながら、そして絶えず一緒にご飯を食べる、……そういう時間は一生のうちにあまりないのだ」と書かれています。

それは自分が家出して──家出といっても居場所がわかっている緩やかな家出ですけど──、やがて結婚して自分の家族をつくったわけですが、その四人家族も減っていって、いまは二人だけになった。振り返ってみると、自分が育った家族全員が食卓につくという時間も案外短いんですね。特に父がけっこう厳格だったので、食卓で家族みんなが腹を抱えて笑い合うなんてことは、人生のなかでほんの一瞬だったと思います。多分一回もなしにばらばらになってしまう家族もずいぶんあるんじゃないか。そうやって考えると、家族がそろって食事をする時間というのは本当に貴重なんだということを、自分が家族をつくって気がつきました。


「まず一番にあなたのことを抱いてお父さんは逃げたのよ」

──今度の本で中核となっているのは、お父様と椎名さんとの関係だと思われますが。

そうですね。父とは何だろうかということがやっぱり一番大きなテーマなんです。姉から聞いた話で、本でも書きましたが、公認会計士である父は神田の事務所にサイドカー付きのオートバイを置いていて、仙台平の羽織袴姿でそれを飛ばしてお得意さんのところを回っていたらしい。ぼくは写真でしか知らないんですけど、いま思えば、昭和の初めに、羽織袴でサイドカー付きのオートバイに乗るなんて、相当いかれてますよね。そういう話からは、おもしろい親父だったんだということがうかがえるんだけれど、ぼくとはあまりにも歳が違い過ぎて、そんな若い頃の父を見ていない。ちょっと悔しいですね。

──五年生のときにお父様は亡くなられますが、その少し前に、一緒に蟹を食べに行き、「それが、記憶にある父とぼくが交わしたたったひとつの会話になってしまった」とあります。

姉に話したことがあるんですよ。あのとき船橋で蟹を食べたときくらいしか話したことがない、どうも自分は親父に嫌われていたような気がするんだ、って。そうしたら姉が、「何いっているの、あなたのことはずいぶん可愛がっていたのよ」というんです。まだ世田谷にいた戦争中の話だから、ぼくは一歳になるかならないかで、もちろん記憶はないんだけれど、その家の敷地は五百坪ほどあって、庭もかなり広かったんです。で、戦争中のことですから、庭を家庭菜園みたいにして農作物をいっぱいつくっていたらしい。「庭でお父さんがねんねこを着て、あなたをおんぶしながら鍬で畑を耕しているときに、三メーターか四メーター先に焼夷弾の不発弾が落ちたのよ。そのときに、いつ爆発するかわからないのに、まず一番にあなたのことを抱いてお父さんは逃げたのよ」そういう話を後で聞くんですね。

──椎名さんが学芸会で「三年寝太郎」の大男の役をやったときに、お父様の体調が悪くて、家族の人たちは誰も見にこられなかった。

当時、父はずっとふせっていて、母たちも看病していたので、そもそも来ないだろうと思っていたし、見にきてくれよともいわなかったんですね、いう気にならなかったというのかな。どこか父との距離を感じていたのか、ちょっとその辺は謎の部分ですね。

──そうした距離感が「不思議なことに、ぼくは父が死んでもそんなに悲しくはなかった」という思いになるのですね。

そう、あまり悲しくなかった。でも、その頃家を出ていたすぐ上の兄は号泣していた。ふだんはそういうふうな人には見えなかったんですけど、いま思えば、その兄はガラスの繊維みたいな神経をしている人だったんですね。それも後年になってわかるのですが。
長兄は長兄でぼくとはまったく別の個性で、弟も違います。家族って、兄弟でもこんなにも違うんだと思ったときに、長兄とは異母兄弟だったということを途中で知って、ああ、それなら当たり前だと。ただ、そういうことってなかなか聞けない空気があって、今度の本では、その謎解きみたいな部分もあるんですね。

──謎のままで、あまりはっきりさせないほうがいいという場合もあるかと思うのですが。

うちの妻などは、いまのうちに姉に会ってあなたが疑問に思っていることを聞いたらどうかというんですけど、そうしたほうがいいなと思う反面、怖い気もする。姉は頭のいい人で、一番理性的に一族を見ていた人ですから、いまがチャンスなんですけど、どうも積極的に連絡して行くという気にならないで、ぐすぐずしているところです。


武道家、柔道、ボクシング、空手とつながっていく

──一族のことを知っている人がだんだんと少なくなってきた現在、これを書くのは、椎名さんの役割だというお気持ちも……

あるような気もするんですね。というのも、今回の執筆過程で不思議な機縁を感じることがあったんです。アメリカにいるぼくの娘が、去年だったかな、ニューヨーク州とニュージャージー州の弁護士になったんですね。それで宣誓式に行ったんですけど、ちょうどその頃、娘が「すばる」のこの連載をずっと読んでいて、興味を持ったんですね。彼女がいろいろと調べて、父方の家系の葉子さん──ぼくの娘は葉という名前でここでもつながるんですよ──という人と連絡を取ることができて、その葉子さんから昔よくあったような一族全員が写っている大きな写真が送られてきたんです。
ぼくが知っている父の写真といえば、死ぬ数年前に母と二人で写っているブローニー判のもの一枚しかなくて、しかもかなりの引きで撮っているので顔がよく判別できない。だけど、その葉子さんから送ってもらった写真には、髭を生やして、それなりにインテリな顔をしている父が写っている。娘の不思議な計らいで、父親の若き頃と出会うことができた。ならば、もっと娘が興味を持つような世界を、物語としてわかりやすいように記録しておこうと思っているところです。

──一方でお孫さんたちの新しい世代が育っていっている。そういう形で、一族の記憶がつながっていくわけですね。

そうやってつながっていくんだということの安堵みたいなものはありますね。だから、できるだけそういうつながりを引き裂くような、たとえばいまのこの国の政治のあり方が、戦争とか、そういった悪い方向に行かないようにしなければいけないという思いが強くなっていますね。〝三匹の孫〟たちを見ていると、こいつらもつつがなく大人になって、自分たちの家庭を持てればいいなと、おじいちゃんとしては思います。
これも姉から聞いたのですが、父の兄弟のなかに武道家が一人いるそうなんです。ぼくは柔道をやっていて、息子はプロボクサーになって、その息子夫婦が産んだ三人の孫の一番下の子が、自分から進んで空手をやりたいといい出している。近所に極真空手の道場があって、あの胴着スタイルに憧れたらしいんですけど、ああ、そうか、武道家、柔道、ボクシング、空手というふうにつながっていくんだな、と。

──この『家族のあしあと』を起点にすると、『岳物語』を経て『三匹のかいじゅう』『孫物語』までが、長大な私小説になりますね。

なんだか、期せずしてミッシングリンクがつながった感じです。

──今回は小学校六年生までですから、ミッシングリンクが完成するには、続編が?

近々「すばる」八月号から連載を予定しています。そこできちんとこれまで書いてきた私小説の連結部分までいければいいんですけどね。

聞き手・構成=増子信一/撮影=chihiro.
「青春と読書」2017年8月号より転載


椎名誠さん椎名誠 しいな・まこと
作家。1944年東京都生まれ。東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。「本の雑誌」初代編集長。著書に『さらば国分寺書店のオババ』『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『アド・バード』(日本SF大賞)『白い馬』(JRA賞馬事文化賞)『哀愁の町に霧が降るのだ』『岳物語』『大きな約束』「わしらは怪しい探検隊」シリーズ等多数。


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