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新刊ブックレビュー

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綴られる愛人

  • 紙の本

行定勲監督が激賞! 手紙から始まる危険な愛を描く、井上荒野『綴られる愛人』

定価:1,500円(本体)+税 10月5日発売

【評/行定勲(映画監督)】
 井上荒野の小説は人間の欲望に正直で、それが赤裸々に描かれているから信用できる。メールやSNSの時代に敢えて文通をする男と女。窮屈で小さな世界から自分を連れ出してもらいたいと願う小説家の柚(ゆう)と大学生の航大(こうた)は、「綴り人の会」に入会し凜子とクモオという偽名を名乗ってやり取りを始める。凜子は28歳で夫からDVを受けている専業主婦、クモオは35歳で貿易会社のエリートサラリーマンという自分とは違う素性にして。名前と年齢、生活環境は偽っているが、真実を帯びた文章を綴った手紙を拵えぶつけ合うふたり。どこかでクモオのことを信用していない凜子は過剰に自分の窮地を飾り立てる。そのくせどこかで救って欲しいと期待もしているのだ。クモオがそのまやかしのやり取りの中で恋をほのめかすと、凜子は冷酷な感情を露呈させる。そのリアルで醜い女の身勝手さが描かれるあたりが、井上荒野の真骨頂だ。
 前半、鬱屈した環境の中で孤独を抱えて生きているふたりが出会い、いつか救済されるようなありがちな展開を想像させられるが、稀代の作家がそんな凡庸な道を歩ませるはずがない。やがて恋愛は弱き心を狂わせていく。その本質に付け込まれたふたりは踏み込んではいけない領域に向かわされるのだ。そこに踏み込む主人公たちの愚かな選択に、私は息をするのを忘れて頁を捲っていた。互いがついた“嘘”に翻弄されながら、やがて生まれる不確かな恋愛感情が救いとなっていくふたりの姿が切実に描かれていく。恋愛のもつれ、誤算、引き返せなくなったかりそめの恋人たち。しかし、この小説の面白いところは痴情のもつれから感情が高ぶり悲劇に至るような、これまでにもあった犯罪心理とは違うものが描かれているところだ。柚の心理は憎悪に満ちている割には冷静である。望んでいた結末は本当にそこだったのか? 読者が行き着く先にある愛の実態に、恐怖と共感を覚える。これは、三面記事で時折見かける、理由のわからない事件の正体なのではないかと思うのだ。



井上荒野(いのうえ・あれの)
1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞。2004年『潤一』で第11回島清恋愛文学賞を、08年『切羽へ』で第139回直木賞を、11年『そこへ行くな』で第6回中央公論文芸賞を受賞。『ベーコン』『つやのよる』『だれかの木琴』『リストランテ アモーレ』『ママがやった』『赤へ』など、著書多数。



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