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新刊ブックレビュー

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メビウス・ファクトリー

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巨大工場を舞台に不条理な監視社会を描く、三崎亜記のSF長編『メビウス・ファクトリー』【評/大森望】

定価:1,600円(本体)+税 8月26日発売

『メビウス・ファクトリー』は、〈小説すばる〉二〇一五年九月号~二〇一六年三月号に連載された三崎亜記の最新長編。タイトルのとおり、今回のテーマは工場。ただし、ただの工場ではない。ME創研が開発した製品「P1」だけを製造・出荷する。従業員は全員、工場のある町に住み、衣食住はじめ彼らに提供されるすべてのサービスは、会社から支給されるパスで決済される。会社の総務部が役場の機能を果たし、企業城下町として完全に自律している。毎日出荷されてゆく完成したP1の具体的な用途は誰も知らない……。
 第1章「新入社員」の主人公〝僕〟ことアルトは、八歳までこの町で育ち、十五年ぶりに帰郷して、ME創研にUターン就職したばかり。妻の美野里と、その連れ子である四歳のキララ――愛する家族とともに始まった新生活の滑り出しは順調そのものだった。製造ラインを担当するアルトの仕事は、たとえばこんな具合。

 まずは「お清め」だ。腰の位置にある「お風送り」のノズルの先をP1台座に向ける。前の「お身削り」の奉仕で、削りかすが残っている可能性がある。ノズル側面のボタンを押す間だけ、エアーが吹き出す。エアー量は調節できないので、ノズルの位置で調節する。一瞬で状況を見極め、エアーの距離と噴射時間を決める。

 労働は〝奉仕〟、給料は〝お戻り〟と呼ばれ、「お疲れ様」や「ありがとう」の挨拶はすべて「お巡り様」になる。仕事でもっとも大切なのは、部品ひとつひとつに真心を込めて組み立てること。魂が入らない〝みたま欠け〟の製品は鑑定士によってはじかれ、組み立てチーム全体の連帯責任となる。
 町の方針を決めるのは、着ぐるみを着た十二人の(正体不明の)代表による、『車座』という会議。休日や余暇は、〝オタガイ〟と呼ばれる制度に基づき、町民は困っている他の町民に手助けを提供する。だれもがしあわせな、理想のコミュニティ。
 第2章、第3章では、鑑定士見習いに抜擢された遠山、腕利きの熟練工を自認する一匹狼の日比野が語り手となり、町の日常が立体的に描き出される。
 読み進めばわかってくるとおり、町と工場は、閉ざされた相互監視社会を構成している。小説の後半では、その完璧な秩序が崩壊してゆく過程が見せ場になる。トム・ヒドルストン主演で映画化されたJ・G・バラードの代表作『ハイ・ライズ』(一九七五年)では、富裕層のためのユートピアとして構築された超高層タワーマンションの崩壊が描かれるが、『メビウス・ファクトリー』はその二一世紀版と言えなくもない。いやむしろ、〝3・11〟以後バージョンと呼ぶべきか。実際、遠い世界の寓話だと思って読んでいると、原発事故以後に帰宅困難地域やその周辺で起きた不条理な出来事や社会制度の機能不全を連想させる騒動が作中の町民たちに襲いかかり、読者は否応なく現実を意識させられる。
 著者は、前作『ニセモノの妻』に関する〈新刊JP〉のインタビューで、〝「変な話だけど、自分の周りを見回したらこんな変なことが起こっている」というように、読んだ人が、自分の日常を振り返って何かしらの気付きを得たりできるものを書きたいですし、逆にいえば、それがなくて「ただの面白い小説」なら、私が書く意味はないのかなという気もしています〟と語っているが、この言葉は本書にもそのままあてはまる。
 へんな工場の話だなあと思っていると、その物語が身のまわりの現実と奇妙に重なってくる不安感。クライマックスの派手なエンターテインメント展開を経て、物語はふたたび現代の日常に帰ってくる。わかったようでわからない――わたしたち自身、そんな不条理な世界に暮らしているのかもしれない。

――大森望(書評家)


三崎亜記(みさき・あき)
1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。2005年『となり町戦争』(第17回小説すばる新人賞受賞作)でデビュー。同作で三島由紀夫賞・直木賞候補になり、単行本と文庫で累計51万部のベストセラーとなった。2007年第3作『失われた町』が本屋大賞第9位に、『鼓笛隊の襲来』が直木賞候補になる。近刊に『手のひらの幻獣』『ニセモノの妻』など。



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