• twitter
  • facebook
  • RSS
 
 

担当編集のテマエミソ新刊案内

  • 一覧に戻る

革命の終焉

  • 紙の本

『革命の終焉』著者:佐藤賢一

定価:1,600円(本体)+税 9月26日発売

小説フランス革命完結記念!
『革命の終焉 小説フランス革命XII』刊行
佐藤賢一氏レンザブロー限定インタビュー
@山形県鶴岡市


ライフワーク『小説フランス革命』の刊行開始から6年。
この9月の12巻で完結を迎えた今、佐藤氏が思うことは――。

☆大変な事件だったし、大変な仕事だった

「書くなら、今しかない」
 今から10年ほど前、『小説フランス革命』の原稿執筆前に、佐藤氏は静かに語った。
「どの時代を切り取り、どんな題材で描くにせよ、西洋歴史小説を書いていくならば、世界史的な事件と言うべきフランス革命を避けて通れない。そして、この大きな事件に挑むには気力、体力ともに充実している40代でなければ書けないだろう」
 大革命家ミラボーが逝去した年齢に自身の年齢が近づいていたことも、少なからず意識していた。
 2008年に単行本の刊行が始まり、この9月刊行の『革命の終焉 小説フランス革命XII』をもってシリーズは幕を閉じる。

佐藤賢一氏 構想期間を含めれば約20年、単行本の刊行だけで足掛け6年、同時に文庫版の校正、この仕事のためにいくらかセーブしていたとはいえ、他の仕事もこなしながらの執筆だった。最終原稿に添えられたメールには「これといった感慨も、解放感も、脱力感もなかったのですが、(担当編集の)感想をお聞かせいただいたことで、ああ、終わったのだなと、ようやく実感が湧いてきました」とあったが、単行本化作業の終了から時間が経過し、執筆そのものを再認識する思いがよぎる。
「考えていた以上に、フランス革命は大変な事件だったし、大変な仕事だったというのが、書き終えてしばらくたってからの実感です」
 一口にフランス革命といっても、事件そのものがドラマチックかつ複雑で、かかわる人物の数も計り知れない。構想の切り口の間口が広いだけに呆然としたのは当然であろう。
 熟慮の末、佐藤氏が採択したのは、革命家たちの群像劇。複数の登場人物に視点を据え、1789年から1794年までを、1年に1年ずつ描き、現実世界と作中世界がほぼ同時進行的に続いていくスタイルだ。最も配慮したのは、「結果論から書かない」ということ。
「様々な史料を読むにしても、1794年のところから読んで89年を理解するのでははく、最初に89年のものを読んで94年を書くまで94年のものは読まないということを、まず心がけました。もろもろの事件の結果や人物の行く末などは知っているわけですが、できるだけ先が見えない状態で、その世界へ入っていくように注意した、ということですね。
 フランス革命というものを俯瞰で見ることもできると思うのですが、やっぱり人の視点でいこうと。三人称なんだけれども、その人が考えたことや、その人の心情や、立場に寄り添って描いていこうと」
「それが最善の方法だったのか、革命を十全に書けたのか疑問は残る」思いはありながらも、相応の手応えもあった。
「登場してくる人物が、本当にキャラクターが立っている、と言いますか、実際、濃厚な人物ばかりだったんです。正しいかどうかはわからないのですが、彼らに自分なりに入っていけたのかな、と。彼らに入っていけたことで、革命というものを位置づけることができたので、革命の当時の雰囲気みたいなものは出せたのではと思います。
 また、ほぼリアルタイムで描いたので、革命初期を書いたときは、革命家たちの高揚感を間近に感じながら、僕自身も<これからやるぞ、書くぞ>というふうに書いていくし、革命が途中で停滞したり、あれ? どうなっていくんだろうというような段階になると、僕自身もどうやって書いたらいいか、迷いが生じたりしていました。革命を続けなくてはいけないんだけれども、どんどんしんどくなっていくのに並行して、僕自身も同様にしんどくなっていく、というような……。
 そこに入り込みすぎて、自分が何をしているのか、どこを目指しているのか見失いかけたことさえありました。また見失いそうになるから、一層、言葉や概念、理想といったものの大切さや、それにすがりついていかなければいけないという感覚も強くなる。僕の中で小説の筋を見失いそうになりながら、常に確かめていたところだったので、それが革命家たちの苦労にも通じ、登場人物にシンクロして書けたのではと思います。それは手応えでもありましたが、同時にきついところでしたね」
 人物に入っていけたことで、革命家の各々の従来のイメージとは異なる面が見え、人物造型にさらなる深みが与えられる。
「ミラボーというのは、かなり万能で、できる政治家というイメージがあったのですが、父親との関係を長い間引きずっていたりなど、痛々しく弱い面も見えてきて意外でした。また、最初は、自分や普通の人にも近い個性として見ていたデムーランのずば抜けた洞察力や文才にも驚きましたね。時代が時代だったら、世に残る作家になっていたのではないでしょうか。彼らのそのような違う面を発見して、それぞれにさらなる魅力を感じました」
 バスティーユの陥落、パリ庶民のヴェルサイユ行進、王一家のヴァレンヌ逃亡などのような、エポックメイキングとなる事件はもちろん、議会の迷走、聖職者たちの闘いなど、これまで日本の一般読者にはあまり知られていないながら、フランス革命を知る上で重要な史実をドラマ性豊かに辿ることができる本シリーズ。
 さらに、魅力はミラボー、ラ・ファイエット、デムーラン、ダントン、マラ、エベールなど個性豊かな革命家たちの、色彩豊かで、起伏に富む描かれ方。史実に残った言葉を拾いながら、口調、口癖にいたるまで、その人物の表層、深層を色濃く縁どっていく。

☆ロベスピエールとの6年間

 フランス革命を書くことは、ロベスピエールを書くこと。
 数多の革命家に目配りする中で、これに早い段階で気づいたことも、大きな手応えだった。はっきりと認識したのは、ロベスピエールと同じ第三身分代表議員のバルナーヴが去っていくあたり(単行本6巻『フイヤン派の野望』、文庫版第一部9巻『戦争の足音』)だという。「革命が続くのであれば、ロベスピエール氏、それを指導するべきは、あなただと思います」という言葉を残すバルナーヴに、取り残された感のあるロベスピエールの心もとなさが、前途多難を予感させる印象深いシーンの一つだ。
「なぜ、バルナーヴは去って、ロベスピエールは残るのか。
 それまで政治を動かしてきた主役というのは、ミラボーにしてもラ・ファイエットにしても、もともと貴族だったり、政治力があったり、または、とてつもない才能があったりして、凡人じゃないんですね。
 そういう人たちが革命の名のもとに政治を動かしてきたんだけれども、実は彼らが中心である限り、それは革命ではなく改革であるとか変革であるとか、そういう革命の一歩手前のところで、終わっていたんじゃないか、まだ革命と言える段階ではなかったのではないかと。
 本当に革命と呼ぶにふさわしいものになっていくのは、それまでの政治の担い手ではなくて、全く新しい普通の人が政治をするということ。まさに民主主義といえる段階が現実として現れてきたところで、初めて革命に進むのかなと。
 そういう普通の人が政治をやっていてトップにつくという側面で、最も典型的なのは、やっぱりロベスピエールなのだろうな、と思ったんです」
 平民出身の革命家といえば、ダントン、あるいはマラを思い浮かべるが……。鶴岡市内湯田浜にて。夏期は家族を連れ、ここで海水浴。
「ダントンのような破天荒で器量があって、人間的魅力もある、いわゆる小説のキャラクターみたいな人ではなくて、ほんとにどこにでもいるような、また身の回りにいるんだけれども、いたらちょっと厄介だなというような、頭でっかちなんだけれど、理想に燃えて発言も理路整然として、この人いいところもあるじゃないという、それくらいの普通の人が政治の主導権をとったというところにフランス革命最大の意味がある、と。
 それで、ロベスピエールに力点を置いて描くようになったんです」
 頭脳明晰、知識レベルの高いロベスピエールは、佐藤氏から見ても相当の文章力の持ち主だったと思われ、凡百の人とは一線を画すが、確かに従来の政治家タイプとは言えない。
 しつこいくらいに彼を書きこむことで、フランス革命が見える――。
 この6年間はロベスピエールとともに歩く6年となる。

☆ロベスピエールの孤独な闘い

 革命後半期の徹底的な粛清。自身の党派、革命の遂行に反する者はもちろん、かつての盟友デムーラン、ダントンをも非情に断頭台へ送り続けた――。
 ロベスピエールのイメージといえば、まず第一に、恐怖政治の断行に象徴されるその冷徹さ冷厳さが挙げられるだろう。
「2000年に『マクシミリアン・ロベスピエール全集』という12巻の史料集がパリで刊行され、手紙、論文、演説――彼が残したものなら全て読むことができるんですね。それらに目を通すと、ロベスピエールの理想や言うことというのは、実はそんなに首尾一貫していないことがわかります。最初は、共和政を考えていたわけではないし、死刑という制度にも、戦争にも反対だった。ところが後に、共和政にする、処刑する、戦争もどんどん進める立場になってしまうわけです。もちろん状況次第で考えが変わることもあるし、彼自身の中で進化していく、ということもあったと思いますが、とにかく変わると。
 ところがよくも悪くも、その首尾一貫していないはずの彼の発言から受けるこちらの印象は、そんなに変わらないんです。つまり、言っていることもやっていることも変化しているけれど、彼自身は大きく変わっていない、それを受け止める側が変わってしまったのだ、と」
 最初に議会に登場した頃の演説には、爽やかさを感じたはずなのに、時を経て、聴き手読み手に不快感、後味の悪さのみを残すようになっていく――。佐藤氏もその理由に説明がつかない思いを抱いていた、ある時。
「嫌だ、不快だと感じた時点で、フランス革命におけるロベスピエールの役目は終わったのだ、ということに気づきました」
 革命自体は、フランスのみに起こった出来事ではない。イギリスには清教徒革命、名誉革命が、そしてアメリカには独立戦争という革命があった。
「フランス革命が特別なのは、<理想>がある、ということ。他のものは言ってみれば政権交代、それまで権力を持っていなかった人が、権力者を蹴落として替わって政権をとるということが、革命だったり政変だったりするんだけれど、自分たちのフランス革命は、理想を実現するためにやっている、それを忘れてはいけない、ということをロベスピエールは革命後半になって言うんですね。
 でも果たして、当時の人たちが皆そういうふうに思っていたかどうか。実は、そもそもはブルジョワ階級の人々――お金も政治力も社会的な実力もあるのに、貴族や王族から頭を押さえられて、彼らにとって代わりたいと考えていた、そういう人たちの欲望が基本的にあって、その方便として民主主義を持ってきたのがフランス革命の実相だと思うんですよ。
 ところが、ロベスピエールの場合は、入口が理想だっただろうし、それが最後までぶれなかったのだろうと。
 僕もこの小説を書いていながら、何がどうなっているのか見失いそうになる怖さを味わいましたが、ロベスピエールも一人で戦っていたんじゃないか」
 あのデムーラン、ダントン、マラでさえ、眼前のめまぐるしい政治の動きに呑まれ、理想よりも現実に巻き込まれそうになっていく。そんなときに、途中から革命本来の意味、理想を「確かめる」サインを、彼らがロベスピエールに送っていたことを、書きながら実感したという。
「理想を持ち続ける役目を、ロベスピエール一人に預けちゃったのかなというのが僕の想像です。だから、革命後半期に、理想で動く部分と、現実で動く部分がロベスピエールの中で分離していくところがあったのかな、と」
 フランス革命は、革命の成功云々よりも、さまざまな問題を「提起した」ことに意味があると以前に語っていた佐藤氏。
 普通選挙の原則を打ち出し、福祉という考えを持ち出したロベスピエールの役割も、忘れてはならない。

☆ロベスピエールの三角関係

 言うまでもなく、フランス革命に関する史料は、日本語に翻訳されたもの、フランス語など外国語で読めるものも含めると膨大な数に及ぶ。革命家たちの演説は記録され、手紙、日記、論文は残り、議会の議事録があり、デムーラン、マラ、エベールらが発行した新聞各紙がそれぞれ残されている。さらに、ルイ16世など、その死に際までも記された死刑執行人サンソンの回顧録も興味深い。それらを読み進め、行間を読み解き、その隙間を埋めるように、想像を膨らませていく。
 本作における佐藤氏の創作部分の中でも、目を引くのは、登場人物たちの意外な思い、特にロベスピエールの秘めた恋であろう(『徳の政治 小説フランス革命XI』)。
「最初はデムーランとロベスピエールの友人関係から始まったのだろうし、そこにリュシル(デムーランの妻)が入ってきたのでしょう。今までこの3人を三角関係で書いた人はいないのでは、と思います」
 生涯独身、潔癖で堅物、童貞説さえあるロベスピエール。2人の結婚式にまで出席していたが、その内面は複雑だったと佐藤氏は見る。
「ロベスピエールに女性の影が全くないわけではないんです。なのに生涯独身を通したことが三角関係を描いた理由の一つ。また、当時の話で、リュシルはロベスピエールと結婚するのではと言われていた時期もあったという記述を読んだことがあるんですね。
 また、リュシルにはお姉さんがいて、デムーラン、ロベスピエールと4人で出かけたこともあったようです。お姉さんの方とロベスピエールが付き合ったという記述までありながら、独身を通している。どういうことなのかな、と思って」
 さらに、先述のサンソンの手記にも氏は注目する。
「処刑されたデムーランの髪を、リュシルの実家に届けることをロベスピエールが目こぼししているんです」
 それは通常ならば許されない行為だったという。珍しいことゆえ、サンソンもわざわざ手記に残したのだろう。このロベスピエールの行為は、かつての盟友のためではなく、妻であるリュシル(デムーランの処刑後、間もなく処刑されるが)への思いの投影か。
 また、革命後半期、ロベスピエールの腹心となり、舌鋒鋭い革命家、美男子としても名高いサン・ジュストのロベスピエールへの思いの描写にも氏の筆が活きる。
「ルイ16世の処刑を決定的なものにした『王は敵として裁かれるべきだと思います』という苛烈な演説は有名ですが、ダントンやデムーランに対しても容赦ないんですね。あれほど、人を蹴落とす言葉で誰もかれも切り捨てるのに、ロベスピエールだけには全くそれがない。単なる憧れにはとどまらないものがあるのかな、と」
 リュシルへの積年の思い、サン・ジュストからの熱い思い。
 幼い頃、家庭に恵まれず貧しく育ち、己の学力のみを頼りに、革命に身を投じ、革命に散っていったロベスピエール。たとえその思いに交流はなかったとしても、わずかでも体温が感じられるエピソードにほっとする読者は、少なくないのではないだろうか。

☆オリンピックへ向かう日本

 シリーズ執筆中に、自民党から民主党に政権が替わり、東日本大震災を経て、さらに自民党へ政権が戻るなど、日本国内の状況も目まぐるしく変わった。第二部開始時の2012年7月当時のインタビューでは「革命期に似ている」と日本を見ていた氏には、今現在の日本はどう映るのだろうか。
「今の日本の状況というのは、フランス革命でいう総裁政府の時期ですね。つまり、ロベスピエール亡き後のテルミドール派が政権を握ったあの時期に似ているのではないかと思います。総裁政府の時代はだらだらと5年も続いて、それからナポレオンが政権を握る時代にうつるのですが、あの頃と似ているのかなと。悪くはないけれどよくもなくて、革命を忘れてはいないけれど戻ろうともしていなくて」
 現日本が、そのような過渡期とすれば、ナポレオンの出現が待たれるが。
ハーレー(ダイナワイドグライドFXDWG2001年モデル)は、2012年9月に購入。
「<小説フランス革命>の連載が終わりに近づくにつれて、以前に乗っていたときの気持ちよさが、なぜだかしきりと思い出されるようになって、どうにも乗らずにはいられなくなってしまったんです」
田園の背景に見えるのは、羽黒山。
 「オリンピックのあたりというのは、ちょっと大きな節目になるような気がします。政治の世界でもまたワンステップあるのではないでしょうか。自分のテーマに引きつけて言いますと、2009年に民主党に政権が替わって、民主党自体は失敗したとは思いますが、ただ変わることができるんだという意識は生まれた。そのことが、ほんの少しではあっても、日本に地殻変動を起こしたのではという気がしているんです。2011年の震災時には、国民自身も変わらなくてはと思ったでしょうから、これまでの停滞していた日本ではない部分で、今、新しい日本が生まれようとしているのではという印象はありますね。
 今の自民党政権にしても、以前の自民党とは質的に違ってきているのではないかな、と。ともすると、55年体制に戻らないとも限らないですが、それとは違うままでいって、変わり始めた流れを持続して、社会の活力みたいなものに結び付けてほしいなと思うし、そうならないと、やはり日本はだめになるのではないでしょうか」



☆革命が与える生命力

 巨編執筆を終えてなお、一番後を引くのはロベスピエールであることは、変わらない。
「いつ恐怖政治をやめる気でいたのかを第一に聞きたいですね。つまり、どこまでやったら彼は<理想>にかなうと思っていたのか」
 そしてさらに、ミラボー、ラ・ファイエットなど前半生が革命ではなかった人物の人生をノンフィクションで書いてみたい思いがあるという。
「自分が変わったのか、あるいはこのシリーズを書いているときにそうなったのかはわからないのですが、以前は、わりとストーリーを考えて書いていたんですね。どう伏線をつけようかとか、どういうふうにあの人物を動かそうかとか。でもフランス革命については、ほとんど考えるということはなかった。史料を読んで、浮かんできたことをそのまま書きました。こういうシンクロの仕方はこれまではなかった。言い方は悪いかもしれませんが、これまで書いてきた小説は、いわば<作りもの>で積極的に作って書いていた部分の方が多かったのですが、フランス革命は作るよりも<出てきた>という感じが強かったんです」
 読み込む史料の多寡にかかわらず、まさに「人物に書かされた」という実感を持ったという。
「フランス革命が持つ<生命力>をものすごく感じました。たとえばルイ16世にしても、革命前は半分死んでいたんじゃないか、革命によって彼は命を得たのではないかと思えるくらい、革命後の方が生き生きしている。彼でさえそうですから、他の人なんかもっとエネルギッシュで、その生命力に当てられて書いていたという思いはすごくありますね」
 有名無名、数々の演説。どこまでも熱く、あるいは徹底的に冷静な論文。史料から溢れる言葉、言葉、言葉……。フランス革命で氏が触れた数限りない言葉は、これまでの執筆時にあたるものとは違うエネルギーを放出し、読み手を――史料文献慣れした佐藤氏ですらをも巻きこむものだった。
「その時代に吐き出された言葉の重みと言うのでしょうか、そういったものにより敏感になったというところはあると思います。これから、他の作品を書くにしても、史料から感じ取るものは、これまでと違ったアンテナで受け止めて、違った部分も感じることができるのでは」
 フランス革命の生命力は、時空を超えて、一人の作家にも、あらたなる生命力をもたらした。


撮影 chihiro.


担当編集テマエミソ

「特に何もしていないんですけどねぇ」
 フランス革命刊行開始から、みるみる痩せて引き締まっていく佐藤さんに、
「また痩せましたね?」
 と、お声をおかけするたび、穏やかに返ってくる言葉でした。
 2010年9月刊行の『フイヤン派の野望 小説フランス革命VI』の時にも、テマエミソ新刊案内で同様のことを記しましたが、それから3年たち、40代半ばを迎えた佐藤さんは、作家としての貫禄がありながらも以前より若々しくなった気さえします。
 ヴェルサイユの三部会開幕に始まり、バスティーユの陥落で革命の火蓋が切って落とされてから、ヴェルサイユ行進、王の逃亡、主役革命家であるミラボーの死、党派同士の熾烈な争い、数多の粛清と処刑を経て、革命の終焉に至るまで――様々な枝葉があり、変節があり、進退があり、ドラマが繰り広げられました。事件一つ一つがドラマチックに描かれることは言うまでもありませんが、ロベスピエール、デムーラン、ダントン、マラ、サン・ジュストなど有名な革命家はもちろん、実力や能力がありながら挫折した者たちまで、実にたくさんの人々が混乱なく個性豊かに描き分けられます。
 時系列で追っていく手法はオーソドックスと言えますが、俯瞰ではなく革命家の目線に徹して描いたことで、時代の息遣い、革命の雰囲気が濃厚になり、読者はいつのまにか、18世紀パリに投じられたような錯覚さえ抱くかもしれません。
 この臨場感は、数多の歴史小説の中でも類を見ないのではと思います。
 常に締め切り通りに、精度高く、密度濃い原稿をいただき続けたこの6年間。
 デビュー時から佐藤氏とおつきあいを続けさせていただいたことも光栄ながら、編集者冥利につきる貴重な時間を過ごさせていただきました。
 また、「小説すばる」連載時からイラストを担当してくださった八木美穂子さんのカバー装画にも注目です。各巻の中心人物を表に描いてくださいましたが、第1巻と最終巻のロベスピエールの表情の格差に、フランス革命の複雑性が表されているようです。

 余談ですが、最終原稿をいただいたのち、担当編集はパリを訪れ、革命所縁の地を訪ねました。ダントン像、革命家たちが熱く議論を戦わせたカフェ・プロコープ、デムーランが結婚式を挙げたサン・シュルピス教会・・・・・・。実際、歩いてあらためて思ったのが、当時の地理関係についても佐藤さんの描写がいかに正確であるかということでした。このシリーズを読んでパリに行けば、革命期のパリが3Dで甦るという実写映画さながらの充実した歴史散歩を楽しめることも、自信を持ってお約束いたします。


 なお、同時期に刊行された『かの名はポンパドール』(単行本・世界文化社刊/コミック・紅林直画 集英社刊)は、フランス革命の下地、助走ともいうべき時代が活写されています。こちらもあわせてお読みになることをお薦めいたします。


(担当編集K)


ページのトップへ

© SHUEISHA Inc. All rights reserved.