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RENZABUROスペシャルエッセイ

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太陽の庭

  • 紙の本

『太陽の庭』宮木あや子

定価:1,300円(本体)+税 11月26日発売

レンザブローから生まれた単行本『太陽の庭』
刊行記念エッセイ

今歩いているその土地も誰かのもの
宮木あや子

 最近、運動不足により定期的にヒザが痛くなるため、自分に「私の趣味は散歩」と言い聞かせてなるべく歩くようにしています。ウォーキング用スニーカーも七足買いました。

 私が今住んでいる家は横浜の南側にあります。詳しい方はお判りと思いますが、この土地はものすごく山が多い。奇跡的に私の住居は平地に建っています。しかし数十メートル歩くとそこはもう山です。山の斜面にへばりつくようにして、家やアパートが建っている風景は結構圧巻で、それは景色としてみても立派なものなのですが、その居住区に足を踏み入れると、更にワンダーランドなことになります。急斜面に小さな住宅が密集。そういう路地を歩くのが好きです。

 日本の家屋は、建てられた時期が違うと様相も変わります。ピッカピカの新築住宅の狭間に昔ながらの木造建築の家(しかも門扉はバラのアーチ!)があったりするとすごく嬉しい。南仏のような小さな白壁のアパートに並んでツーバイフォーの四角い戸建住宅、大きな更地にはマンション建築のお知らせ。塀からはのうぜんかずらに松、つるバラ、蔦、様々な植物が顔を覗かせています。人ひとり通るのがやっとの細い路地を二時間くらい散歩して、野良猫と戯れ、山頂(の住宅街)から谷底(の住宅街)を染める夕日を眺め、帰ってきます。

 何がすごいって、日本の郵便や宅配業者がすごい。どこから入れば良いのか判らないような家にも住所はあり、定期的に郵便物が届く。どこに誰が住んでいるのか、どこかの誰かは必ず把握している、ということ。

 同じように、新幹線や高速道路から見える景色も、結構すごいです。どこも駅前はそれなりに栄えているけれど、山の中や田んぼの中にぽつんと一軒だけ家が建っていたりすると、ワクワクするのと同時にちょっと怖くなります。

 もしかして、あれは私にだけ見える幻なんじゃなかろうか。本当は人なんか住んでいなくて、住所もないんじゃないのか。逆にあの山肌に密集した住宅街も、ちょっと住宅数が多すぎる。もしかしたら住所登録のない家があるんじゃないのか。

 新刊『太陽の庭』は、「住所のない場所」に住む「戸籍のない人」たちを描いたお話です。一部の公的書類に「住所または居場所」という欄があるようにこの国にも「居場所」しか持たない人は多数存在します。そういう人たちの住所を持たない理由には、だいたいが経済的だったり家庭的だったり、なんらかのマイナス要因が付随している。

 しかしもしかしたらもっと違う要因で「住所のない場所」というのが存在するんじゃないのか、と考えました。それが『太陽の庭』を書き始めた発端です。あってもおかしくない。だっていくら日本が狭い国だからと言っても、国土や国民全てを誰かが把握してデータベースの統合を図るなんて不可能だと思う。一時期騒がれた住基ネットに関しては、結構な数の自治体でコンピュータウイルスに感染しているため(内部は大パニックだったけど、マイナス情報って世間には広く発表されてませんよね)今現在、データベースが本当に正しいのか判りません。もっと言えば中央省庁や地方の役所、警察機関のコンピュータウイルス感染やそれに伴う情報漏えいは日常茶飯事でした。でも、たいがいが「国民には関係ない情報」として処理され発表されない。

 本当に正しい情報を、国や自治体は把握しているの? ウイルスの残したバックドアから侵入されて情報改竄されていても、いったい誰が気付けるの?

 以前集英社から女学校を舞台にした『雨の塔』という本を出させてもらいました。実はこの本を書いていたときも、上記のことは考えていたのですが、記すに至りませんでした。そういう背景を描くよりも、女の子同士の微妙なつながりを細部まで書きこむことを優先し、ノイズは排除したかった。

 『太陽の庭』では、そのノイズだったものが主役になります。

 生まれたときから住所のない、戸籍のないことが普通と思って暮らしている人たち。どこにあるのかも判らない広大な美しい箱庭で遊んで暮らしている少年少女たちは、外の、本当の世界を見たときに何を思うのだろう。

 『雨の塔』という本が私は好きすぎて、うっかりするとその世界ばかり書いてしまいそうになります。でも、世界には終わりが必要で、あの世界を終わらせることができるのは書いた私だけでした。『太陽の庭』では『雨の塔』の外側に存在していた世界の終わりを描きました。悲しかったけど、書けたことが嬉しかったです。

 どこかに実在する虚構の世界を、傘をさしてお散歩する気分で楽しんでいただければ嬉しいです。きっと雨に濡れたお花が綺麗ですよ。


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