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対談 京極夏彦×平山夢明

※「青春と読書」一月号に掲載された京極夏彦さんと平山夢明さんの対談(『愛と「キクチ」』)ですが、好評につきロングヴァージョンを掲載する事になりました。

京極 平山さんは、いうなれば鬼畜系ですよね。

平山 それを言われると嫁が泣く(笑)。ネットで「鬼畜系作家」と書かれているのを読んで、「あなた鬼畜系なの? 私は鬼畜の嫁なの?」って泣いたんだよね(笑)。まあいいんだけど、漢字だと重たいから、できればカタカナにしてもらえたら(笑)。

京極 表記の問題なのか(笑)。でも音で区別はつかないから。発音を変えて対談するしかないじゃないですか。「キチク」……「キクチ」ならいい?

平山 そうそう、「キチク」とか「キクチ」とか……「キクチ」だね。

京極 じゃあ「キクチ」系にしましょう(笑)。で、「キクチ」系作家の平山夢明さんとしては、ハートフルな小説というのはあまりお書きになりませんね? ハートレスですよね(笑)。

平山 ハートレスだね。

京極 でもって、平山さんといえば小説以外にも「怪談」があるわけですが。怪談方面もハートなんかないでしょ?

平山 ない、ない。僕もいい年だから、愛とか恋とか照れもあるし、だいたいそんなことを大きな声で言う人は、歌をうたう人ぐらいじゃないの(笑)。タウンページに載っている職業の九割の人は、愛について語ったりしない(笑)。

京極 まあねえ、小声でこっそり言い合うくらいならいいけど。人前ではねえ。

平山 だから俺らも、そんなあんまりそういうことは言わないから、だからその反動としてさ、そういうものが出るっていうかさ。

京極 まあ口にするのも何だって話ですが、字で書くのはもっとねえ。愛という字が嫌いですよ僕は。いちばん嫌いだな、愛って字。

平山 英語の先生がさ、はじめての授業の時に黒板に「LOVE」って書いて、これがすべてだって、横に漢字で「愛」って書いてんだ。お前らにこの尊さがわかるかなーんてさ。それで嫌いになったんだよ。

京極 小説に愛の字は要らないですね。

平山 僕が書くこわい話なんかは、どっちにしろ死んでるやつのほうが多く出てくるわけ。そういう生き物より死人のほうが多いような小説はともかく(笑)。でも、そうじゃない小説って、みんなその方向にもっていくでしょう?

京極 もっていきがちですわね、愛の方向に。

平山 愛なんて所詮、算数でいうゼロみたいなもの。幸も不幸もゼロを掛ければみんな同じ。駆け込み寺みたいな安易な逃げ場所なんだけど、酷いことを書いて、そのまんまで終わらせちゃうとだいたい鬼畜系作家とか言われちゃうわけだよね。

京極 違う違う、「キクチ」系(笑)。

平山 あ、「キクチ」系作家と言われてしまうわけ(笑)。まあ恋愛小説に愛が出てくるのは駅に立ち食い蕎麦屋があるのと同じで、しょうがないけど。

京極 いいや、むしろ恋愛小説こそ、恋愛専門ならせめて別な言葉に言い換えてみてよとは思うけども。

平山 恋愛にだっていろんなのがあるから、変態だって恋をするだろうし、キクチさんだって恋をするだろうから、恋愛小説はしゃあないとして、笑わせるほうには要らないと思うわけ、愛は。ずっと思ってたわけ。でもね、漫画はともかく、小説は愛ありきなのよね、笑わせるのも。ハートフルコメディとか、ヒューマンコメディとかさ。いやなんですよ。昔ね、お茶の間喜劇っていうのがあった。「デン助劇場」ってあったでしょ。

京極 ありましたね。「松竹新喜劇」とか、まあ「吉本新喜劇」的なものね。

平山 「欽どこ」とかさ。そういう昔やってたお茶の間喜劇は、家族愛をベースにしていたけれど、結局は「こいつバカじゃないの」ってところで笑っている。そんなふうに考えると、愛なんてものは、笑いには邪魔な気がするんですよ。お笑いやギャグは毒のあるものがいいと僕は思う。毒はインパクトを与えるから。でもそういうのは難しいと思うんですよね。

京極 難しいんですよ。しょせん小説はギャグ漫画にかなわないとこがあって、ギャグ漫画は面白い顔を描くだけでも笑ってもらえるんだけれど、小説は「面白い顔です」と文章で書くしかないわけだから、瞬間的なインパクトにはまったく欠けちゃうのね。

平山 漫画は顔とセリフとコマが一瞬で頭に入ってくるから。セリフでとんちんかんなことを言って、顔を面白く書くっていうことができる。

京極 小説はぐだぐだ説明しなくちゃいけないでしょう。

平山 納得してもらわないといけない。

京極 それが悔しくて(笑)。僕や平山さんくらいの世代は、要は漫画文化の爛熟と一緒に育ってしまった感じですよね。子供のものだった漫画が、育つにつれて大人のものになって行ったわけだから、まあ漫画世代みたいなところはある。

平山 まあ、あるね。

京極 で、まあ僕はそんな中で水木者に育つわけですが(笑)、まあ僕ァ、人間の八割くらいが水木しげるで出来ている。

平山 多いね(笑)。でも違う成分も入ってるんだ。

京極 赤塚不二夫が練り込まれてます。赤塚エキスが相当数混入してるわけです。

平山 俺驚いたんだけど、あれ、本物の警官じゃなかったんだね、おまわりさん。警官が好きな人なんだよね。

京極 目ン玉つながりね。あれは設定が一定してないのね。その場その場で面白けりゃイイ的にコロコロ変わるから。実は私設交番だったという話もありますね。妻子を養うために交番を勝手に営業してて、届けられた落とし物で食い繋いでいるという。

平山 ネコばばなんだ。

京極 拾得物横領ですね。つうか、家族もいたりいなかったり、それ以前に何度も死んでるし、そういう設定はもうどうでもいいのね。面白いこと思いついたら書くし、面白くなかったらやめちゃうし、臨機応変というか、悪く言えば何も考えてないというか、適当ですよ。良く言えば融通無碍です。赤塚さん。

平山 描くことすらつまらなくなって、描かなくなってたよね。バカボンとか。線描きみたいになってた。

京極 赤塚不二夫をやめるって言ってた時期もあったし。山田一郎って名乗ってた。

平山 あれを見てた時って、ひとはこうやって狂っていくんだってよくわかった、子供時代に。

京極 あれ、「やりつくしたから」なんでしょうね。一度やったこと繰り返すのは馬鹿馬鹿しいから、やめるというより次のステージに昇るわけでしょう。より高次の「バカ」に進むわけです。「バカ」を究めるという。すごいなあと思ったですよ。小説もそれくらいやらなくちゃいけないんじゃないかとは思う。昔、漫画はいわゆるマンガでしかなかったんだけど、どんどん表現できる幅が広がって行って、小説の担ってきた場所にも進出してきているでしょう。売れ行き自体は縮小傾向にあるんだけど、形式としてはかなり幅広くなってしまっている。じゃあ小説はどうかっていうと、全然漫画のほうには進出できていなくて、硬直気味なのね。たとえばいわゆる「実話怪談」にしても、あれを小説の技法として捉えてみるとか、そういう突破口はいくつかあるんだけど、どうも抵抗があるようで。

平山 実話怪談を取材して書いていたときに考えたのは「やりっぱなし」で終わること。振り逃げ(笑)。

京極 振り逃げなんだ(笑)。でも、じゃあその振り逃げをね、一から考えて書けといわれても、これは困るわけですよ。取材してるとかしてないとかいうのは、その話が事実かどうかというレベルの問題じゃなくてね、取材しないで「実話怪談」なんか書けないですよ。ホントだろうがウソだろうが関係ない。書いちゃえば全部ホントじゃなくなっちゃうわけだから。要は取材した材料をどう料理するかという話なんだけど、実話怪談書くのに短編小説のノウハウは役に立ちませんよね。

平山 それはそうだと思うね。

京極 別に文章で著者が主張する必要はないわけ。それはむしろ余計でしょ。伝えるテクというのは要るわけだけれど。書き振りがオリジナリティにはなるわけですが。それ以外は不要。

平山 だいたい丸投げだもん(笑)。

京極 読む方だって、「ホントかどうかわからんけどホントなら怖いね」と思えればいいわけで、それ以上のことは求めてない。書く方だって、「こう思え」とか「ここ大事」とかないでしょ。

平山 ちょっと語弊があるかもしれないけどね、頭の悪いところでできるのがよかったんだよね。実話怪談って。

京極 それ、ものすごく語弊があるって(笑)。でも、実話怪談は文芸作品ではあるわけですよ。書き手の動機はともかく、読み手が文芸作品として捉えることは可能ですから。

平山 あのね、難しいことをいっぱい考えなくてもいいわけ。小説と名前がつくとテーマだとか何だとかを求められるけれど、実話怪談は交通事故の現場を写メで撮って見せるのと一緒だから。そこで勝負できたのがよかった。

京極 写メールみたいな文章って、ある意味スゴイんですよ。別に何も特別なことを表現しなくていいの。あるものの一部分だけ切り取って、はいどうぞ、が出来るかどうかなわけでしょう。

平山 長嶋(茂雄)の氷食いみたいなもんだね(笑)。長嶋ってかき氷が出てくると上をパッと取って下の(シロップのかかった)部分だけ食べて「おかわり、お願いします」って言うんだって(笑)。そんなことして十杯位食うらしいよ。それを見て川上監督が「こいつは天才だ」って(笑)。こういう潔さが(笑)実話怪談にはあるよね。

京極 ありますね。死霊に祟られて死んじゃった人が、実は誰かを好きだったとか、そういうキャラのバックボーンみたいなものは要らないですからね。要る場合は、お化けの出自に関係してる場合だけでしょ(笑)。短編小説の場合は、どんな場合でも登場人物のバックボーンみたいなものがある程度作れてないと書けないわけで。

平山 生きてる限りはさ、いくらなんでも誰にも会わないで山の中で一人で生きてきましたっていう人はいないわけだから、何らかのしがらみがあるわけだから、書かなきゃいけなくなる。

京極 よしんば書かなくても用意はしとかなきゃいけないでしょ。実話怪談はそれがいらない。それはスタイルなんですね、一種の。まあそのへんはギャグも同じで、赤塚不二夫さんの「天才バカボン」のパパに人間としてのバックボーンは必要ないでしょう。

平山 いらないんだよね。いきなり出てくる。バカボンでいちばん驚いたのはさ、勿体ない人が出てきて、要らないとこ全部とっちゃって、どんどんとっていったら、最後マルになっちゃうっていう話があったんだけど。あれはね、いろんなこと考えたらできないんだよね。

京極 だいたいね、新連載のときに「俺は誰だ」とか説明さえしなくていいわけ。いろんなことをそぎ落として成立してる、究極の節約芸能である狂言でさえ、舞台に出てきたら、自分は何処に住まう誰で、ここは何処なのであると宣言します。観客はなるほどそうかと想像して観るんだけど、「天才バカボン」のパパは「みなさんコニャニャチハ、今日も馬鹿なことをしてみせますのだ」と言って出てくるだけ。

平山 ほんとだね(笑)。

京極 いや、それで、ホントに馬鹿なことだけして終わりなの(笑)。僕はそういう小説が書きたかったんです。

平山 その気持ちはよくわかる。小説の読み味は通常何らかの理解や感動をベースにするわけだけれども、必ずしもそうじゃない場合があるから。ちょっとはずれたことをしたくなったとき、僕の場合は読んでいる人を文章でどうにかしてひっぱたきたくなる(笑)。ぶん殴りたくなるっていうか。わけもなく、強姦したくなるっていうか、襲いたくなるっていうか。そういうときに非常に都合がよかったのが、僕の場合は短編の実話だったり、あとは一連の短編小説も、基本は感動とかそういうのではなく、どんだけ読んだ後に人が動かなくなるか、みたいな。

京極 そう思って書いても、感動しちゃう人は感動しちゃうんですけどね。

平山 こしゃくなんだよね。よけいなやつはいるんだよ。よけいなんだよ。そんなとこいいんだよっていうところを「やっぱいいですね」なんて。

京極 むしろ「よくねえよ」と言われたいと思って書いてるわけでしょ。

平山 ひどいですねえって。「ひどい本読んじゃった。会社休みました」って言われたら勝ったなと思う(笑)。

京極 そうでしょう。前に別のインタビューでも言ったんですけどね、読んで腹立って破いて捨てて踏んだとか言われると、これは小説家冥利に尽きますよね。わざわざお金出して買って、破いて踏むって(笑)、すごいことですよ。たかだか文章でそこまで人をつき動かせたわけだから。

平山 「ごめんごめん、そんなに怒らせちゃった?」とは思うけれど、結構いいやつにちがいないと(笑)。これは真面目に受け取ってほしいんだけれど、本当にそういうものを目指している。でも概して聞こえてくるのは「よかった」という声なんだよね。『異常快楽殺人』を書いた時、殺した人間で太鼓を作ったり、人肉食をする殺人者を書いたノンフィクションなんだけれど、「『異常快楽殺人』よかったです。感動しました」って言われるわけ。

京極 『異常快楽殺人』は面白かったし、好きな本ですけどね、感動はしないって。いや、あれで感動はねえだろうよ(笑)。

平山 おかしいんじゃねえか、どっか壊れてるんじゃないかなと(笑)。でも真顔で言うんだよね。そういうときは一応商売だから「ありがとうございます」とは言うけれど、友達にはなりづらい(笑)。京極さんもそうでしょ。小説は商売でやってるでしょ。

京極 そりゃあそうです。仕事ですよ、仕事。お金貰ってる以上は仕事。無料で殺ったらただの人殺し、趣味で殺るのは殺人鬼。お金貰えば仕事人。

平山 仕事人違いじゃないか、それ(笑)。


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