RENZABURO

『ナポレオン』全3巻
刊行開始記念対談

出口治明×佐藤賢一

近代世界の礎を築いたナポレオン

一七六九年八月十五日の正午頃、地中海に浮かぶコルシカ島の南西岸にある港町アヤーチュで、聖母マリアの被昇天祭の聖餐式のために教会へ向かう女性が、突如産気づいた。大急ぎで家に戻ろうとしたが、寝台まではもたず、仕方なしに二階広間の長椅子で男児を産み落とした──。

フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(イタリア名、ナポレオーネ・ブオナパルテ)の生誕二百五十年に当たる今年、佐藤賢一さんの『ナポレオン』全三巻が連続刊行されます。第一巻「台頭篇」には右の誕生当日の情景を含めて、故郷を離れてパリの陸軍幼年学校に入学し、やがてイタリア方面軍司令官として劇的な勝利を重ねていく姿が描かれています。

続く「野望篇」(九月五日発売)「転落篇」(十月四日発売予定)の刊行を前に、ライフネット生命創業者で現在はAPU(立命館アジア太平洋大学)学長を務めておられる出口治明さんをお迎えして、作者の佐藤賢一さんとナポレオンの魅力についてお話しいただきました。『全世界史』(上・下)『人類5000年史』(Ⅰ・Ⅱ)などを著して歴史に造詣の深い出口さんは、『王妃の離婚』以来の大の佐藤ファンでもあるそうです。この機会に、「聞きたいことが山ほどある」と楽しんで対談に臨まれました。

構成=増子信一/撮影=suga naoya

時代を象徴した英雄の誕生
出口

ぼくは佐藤さんの『小説フランス革命』全十二巻を拝読したとき、ほんとうに自分が革命に参加し、起きている事件を目の前で見ているような感じがして、大変感動しました。佐藤さんの書かれるものは全部そうですけれど、会話体が多いということもあって、ものすごい臨場感がありますね。

佐藤

ありがとうございます。

出口

フランス革命を書かれたら、次はナポレオンを書かれるのだろうなと思っていたら、予想通り、今回三部作を書かれたわけですが、佐藤さんご自身、フランス革命からナポレオンに移っていくプロセスをどのように理解されているのでしょうか。まずはそこからお聞きしたいと思います。

佐藤

フランス革命については、いろいろな評価があると思いますが、革命以前は、人間が生まれたときの身分、あるいは財産とか環境といったものでその後の人生が決まってしまうような世界だったわけです。

出口

一言でいえば、身分制社会でしょうか。

佐藤

そうですね。フランス革命によってそうした身分制のたがが一気に外れて、どんな人間でも世の中に出ていけるし、発言もできるし、力も持てるというふうになってきた。フランス革命で一番大きかったのはそこだと思います。

誰もが自由に活躍できるというような時代が到来したところに、まさに自分の才覚一つでどんどん出世していき、ついには天下をとるという、歴史に名を残すような英雄が現れた。ナポレオンは、時代が変わったということをまざまざと見せてくれた人だと思います。

出口

フランス革命というのは、身分制社会から人間を解放する分水嶺であったということですね。

フランス革命の理念の下地をつくった人として、ロックやルソー、あるいはモンテスキューといった人たちの名前が挙げられますけれども、ぼくは、一番の契機はアメリカの独立戦争であったような気がしています。もちろん、ルソーらの唱えた社会契約説とか人間は本来平等であるといった考えを、頭では理解していても、現実はなかなかうまくいかないよねというのが、大方の考えだった。ところが、アメリカはそうした理念を掲げながら現実に独立を勝ち取ってしまった。実際、ラ・ファイエットをはじめ多くのフランス人がアメリカの独立戦争に参加していますね。どのくらいの人が参加していたのですか。

佐藤

多分数万という規模だと思います。

出口

ぼくの想像では、その数万人のうち、戦死したりアメリカに残った人もいたでしょうが、大多数はフランスへ帰ってきて、その彼らがフランス革命の強力なインフルエンサーになったのではないかと思っています。

そこそこお金もあり、そこそこ教養もあるという人々が数万単位で帰ってきてフランスの絶対王政を見たときに、「これはやっぱりアカン」と思ったのではないでしょうか。「自由・平等・友愛」という理念を大量のインフルエンサーがアメリカから持ち帰ってきたことがフランス革命の勃発に道を開いたんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

佐藤

それはものすごく大きな原因になったと思います。出口さんがおっしゃったように、十八世紀の啓蒙期にそうした理念が広まっていったのですが、実際にはできないだろうというふうにみんな思っていたわけですね。それに、共和国といえば、イタリアの都市国家やオランダといった、比較的小さい規模でしかできない政体であり、イギリスやフランスみたいな大きな規模ではとても共和国なんて成立し得ない、つまり、王様を排除したり、身分制の秩序を外すなんていうこともできないんだというのが、それまでのヨーロッパの常識であったと思います。

出口

ギリシャそれにローマでも小さい段階での共和国の先例はあるけれど、ローマは大きくなるにつれて帝政に移行していった。ところが、アメリカという大きな国で共和政ができてしまった。

佐藤

もう一つ、アメリカで実践したさまざまなやり方をフランスへ持ってきています。

出口

トマス・ペインが『コモン・センス』を大量に販売することで独立を喚起したように、フランス革命でも各種、大量のパンフレットがつくられましたね。

佐藤

それから、ラ・ファイエットがフランスでもアメリカの独立宣言みたいなものを出したいというのでできたのが人権宣言ですからね。

出口

内容もよく似ています。

佐藤

そうした一つ一つの積み重ねで、新しい政治の流れというのができてくるわけですね。

革命家ロベスピエールとナポレオンの違い
出口

やはり、社会を動かそうというときにはロールモデルが大事なんですね。そういう面では、アメリカはまたとないロールモデルになった。

佐藤

理論だけじゃなくて、実践したのを目の当たりにしたというのは非常に大きかったと思います。もちろん、アメリカには貴族社会がなかったので、とりあえずはイギリスと分離するだけで新しい国をつくることができた。一方フランスの場合は何層にもわたる身分制があって、まずそれらをすべて壊さなくてはいけない。そこを壊すのはかなりの労力が必要で、多分革命を始めた人たちも予想がつかないほど大変だったと思います。

出口

そうやってフランス革命が進行していくなかで、さまざまな人物が登場するわけですが、佐藤さんがそのなかで一番興味を引かれる人物は誰ですか。

佐藤

一人挙げるとすると、やはりロベスピエールでしょうね。

出口

ロベスピエールはどういう人なんですか。

佐藤

自分が抱いた理想をほんとうに実現したいと思ったのだろうし、またできると信じていた人だったと思います。ただ、理想を現実化することの困難さに直面したときに、彼は最後まで革命家としてやってしまった。そこを政治家として現実をうまくまとめるみたいな能力を持っている人だったら、別な革命のかたちもあり得たのでしょうけれど、彼は政治家ではなくて──むしろ政治的なことは下手くそなんですね──、あくまでも革命家で、だから、最後にテルミドールの反動で一気にやられてしまったわけです。

出口

ということは、起業家・創業者であって、革命が起こった後の体制をつくる人ではなかった。

佐藤

ただ、そこで蒔かれた種が後に拾われていくというか、彼がやり残したものをフランスはその後の数世紀の間に一つずつやっていき、成功、失敗をくり返しながら現在へ至る選択をしていったのだろうと思います。

出口

ロベスピエール自身は安定した体制はつくれなかったけれども、後のフランスのグランドデザインのようなものを彼自身が理念として持っていたような気がします。

そのロベスピエールに入れ替わるようにしてナポレオンが登場するわけですが、ナポレオンを見出したのは、ロベスピエールの弟、オーギュスタンなんですね。そして、その関係でナポレオンも逮捕されてしまう。

佐藤

そのときに、ナポレオンの処遇について総裁政府の上層部でも意見が分かれたみたいなのですが、最終的にはナポレオンの才能を買っていたバラスあたりが、あいつは使えるやつだからということで、すぐ釈放されたようです。

出口

一歩間違ったらナポレオンはそこで殺されていたかもしれない。そこを救ったのは、彼の軍事能力が非凡だということが知れ渡っていたからなんですか。

佐藤

そうだと思います。それまでの将軍とか将校はほとんどが貴族で、それらが全部国外に亡命してしまったので、役に立つ軍人がほとんどいなかった。そうしたとき、能力のある人間を連座させて殺してしまうよりも生かしておいたほうがいいというところがあったと思います。

出口

軍事能力があったことはわかりますが、たとえばロベスピエールに具現されるような革命の精神というのを、ナポレオンはどの程度持っていたのでしょうか。

佐藤

ナポレオンは、先ほど話の出たアメリカが独立戦争をやっていたときに青春期を過ごした世代で、当然、新しい民主主義や共和主義などに、かぶれていたといったらおかしいですけれども、自分でルソーを読んだりしてもいて、しっかりとその洗礼を受けていたと思います。それに、当初はコルシカを独立させたいという思いが強かったから、憲法をつくって独立を正当化する根拠を得るために、頭でっかちなくらい革命を理想視していました。

ただ結果から見ると、ロベスピエールみたいな確信的なものは、おそらくなかったのではないでしょうか。士官学校できちんと教育を受けた若者として、時代の空気のなかで民主主義や人権についてそれなりに理解はしていたけれども、それを実現するためにどこまでできるかといったら、ロベスピエールのように自分を顧みずというようなところまではいかなかったのだろう、と。いってみれば、若者らしく頭でっかちに理想を語るは語るんだけれど、革命家として云々というような感じではなかったのかなという気はしますね。

なぜ皇帝を目指したのか
出口

いろいろと伺いたいことがあるのですが、ぼくが興味あるのは帝政についてです。ナポレオンが皇帝になろうとしたのはどうしてなんでしょうか。

佐藤

ナポレオンの側近にタレイランという人がいますが、タレイランは最後まで王になれ、王になれというんです。ところが、ナポレオンは、王は嫌だ、王制をとるとブルボン朝を復活させることになってしまう、それは絶対嫌だという。そこで皇帝という称号を持ってきたわけですが、要はローマのカエサル、アウグストゥスが共和政から帝政を開いたのと同じことを自分でもやりたかったというのがあったみたいですね。

出口

やはり、モデルはカエサル、アウグストゥスなのですね。

佐藤

日本語ではちょっとわかりにくいのですが、一七九九年の霧月(ブリユメール)十八日のクー・デタの後、ナポレオンは第一執政に就いたわけですが、「執政」というのはフランス語でコンシュル、ラテン語のコンスル、まさにローマの執政官と同じ言葉なんです。

出口

共和政の一番偉い人ですね。

佐藤

ええ。ヨーロッパの人の語感からすると、アウグストゥスがそうだったように、コンスルの次は皇帝だというのが自然な流れとして出てくると思います。

「台頭篇」にも書きましたが、実際、ナポレオンはカエサル、アウグストゥスに憧れていたし、幼年学校時代、ローマ組とカルタゴ組に分かれて戦争ごっこをするときにも、ナポレオンは必ずローマ組に入っていた。ローマにはかなり心酔していたみたいですね。

出口

同じエンペラーでも、当時現実に存在した神聖ローマ皇帝(フランツ二世)は結構情けない存在です。だからナポレオンもそちらは眼中になく、カエサル、アウグストゥスの後を継ぐんだという気持ちが皇帝を選ばせたわけですね。

佐藤

ナポレオンがもう一つ意識したのが、西ヨーロッパの政治的統一を果たしたシャルルマーニュ(カール大帝)です。

出口

「ヨーロッパの父」ですね。

佐藤

共和政のトップから皇帝になるというのは、ローマをモデルにしたわけですが、同時に、自分はフランスだけにはとどまらないということを意識して、あえて王ではなくて、皇帝という称号を持ってきたのでしょう。

出口

ということは、ナポレオンは戴冠式のときからヨーロッパ中を征服するという気持ちを持っていたと。

佐藤

あの戴冠の時期にはかなり持っていたと思います。

出口

ローマ皇帝にしろシャルルマーニュにしろ、初めから自分はヨーロッパの主になるんだという前提で動いているという理解のほうがわかりやすいですね。

その後、ナポレオンはシャルルマーニュを目指してヨーロッパの覇権をとるべく動いていくわけですが、その際に「自由・平等・友愛」という理念をまき散らしていく。ナポレオンの大陸軍が強かったのは、フランス革命で解き放たれたエネルギーを上手にナショナリズムに転嫁したからだといわれています。ある意味では、ナポレオンはネーション・ステート(国民国家)の原型をつくった人ともいえるのではないでしょうか。

佐藤

そうですね。ナポレオンの取材でイタリアへ行ったとき、イタリア人はナポレオンをどう思っているのかとちょっと疑問だったんです。もしかすると、征服者ととらえているかもしれない、と。ところが、どうやらイタリア人は、ナポレオンからイタリア統一が始まったという考え方をしているらしい。要は、それまでハプスブルク家なりスペイン王家なりがイタリアを支配していたのを、ナポレオンが追い出してくれた。しかも、ただ追い出しただけではなく、そこに新しい「自由・平等・友愛」という政治の原理を持ち込んでくれた、と。

出口

ナポレオンはヨーロッパ全域を支配しようと思ってはいたけれど、そこには少なくともフランスと同じように「自由・平等・友愛」という理念を植え付けるというか、封建制の残滓を一掃しようという気持ちはあったんでしょうね。

佐藤

それはあったと思います。理念もそうですし、それが大義でもあった。

出口

そういう大義があったからフランス軍は強かったんですね。

現代へつながるナポレオン体制
出口

ところでミーハーな質問で恥ずかしいのですが、ナポレオンがほんとうに愛した女性は誰なんですか。

佐藤

結局、愛したのはジョゼフィーヌでしょう。ただ、執着したのはマリー・ルイーズだと思います。

出口

待望の男の子を産んでくれたからですよね。

佐藤

加えて、マリー・ルイーズがオーストリア皇女という名門の出であることも大きかったと思います。それでも、ほんとうに愛したのはジョゼフィーヌだったろうと思います。

出口

仮にジョゼフィーヌに赤ちゃんが生まれたところで、彼女の場合、身分が低いという劣等感はどうしようもなかったかもしれませんね。

佐藤

そうですね。ですから、子供が生まれなかったからジョゼフィーヌと離婚したといわれたりもしますが、最終的には子供よりも名門貴族の箔をつけたかったというのがあったような気がします。

出口

いろいろおもしろいお話を伺ってきましたが、結果的に見れば、近代的な所有権を明文化した民法をつくり、ネーション・ステートの下準備をし、というように、ナポレオンは近代世界の礎を築いたわけですね。フランス革命というのは、最初に佐藤さんがおっしゃったように、身分制の社会からまさに近代の扉をあけたのだと思いますが、最終的にフランスから王様がいなくなるのは一八四八年の二月革命です。

その意味では、フランス革命というのは実は一八四八年にようやく完成したといえる。そこでネーション・ステートと所有権をベースにした産業革命が完成する。そして、産業革命とネーション・ステートという二つのイノベーションがヨーロッパ列強を世界のリーダーに押し上げていったのだと考えることができるのではないでしょうか。

佐藤

フランス革命とナポレオンが「近代」というものを準備したことは間違いないですね。民主主義という理念からして王様を置くのはおかしい、生まれながらの貴族はやめようということで一七八九年の革命が起こり、その後、第一帝政、復古王政、第二共和、第二帝政、第三共和政……と紆余曲折ありながら、フランスは最終的に現在の第五共和政に落ち着きました。その最初のスタートラインはやはりナポレオンだったと思います。

出口

その第五共和政をつくったド・ゴールは、半分ナポレオンのような人ですよね。名前こそ大統領ですけれど。

佐藤

そうですね。皇帝になるか大統領になるか、終身で世襲か、選挙をやるかの違いはあるのですが、第五共和政の体制自体は消極的な民主主義というか──実際はエリート官僚が国を動かしているのですが──、その最高権力者だけは国民の総意で選ぶ。それはナポレオン体制を復活させているともいえるわけで、それが現在の体制になっています。

出口

第五共和政は、ナポレオンとロベスピエールを合成した感じですね。

佐藤

結局、あそこでうまくいかなかったことを最終的に落ち着かせたのが第五共和政といえるのかもしれません。

出口

そういうことを考えても、やはりナポレオンはすごく偉大な人ですね。レジオンドヌールとかリセとか、現代のフランスにつながる原型のようなものは全部ナポレオンがつくっている。

佐藤

ほんとうにそこはすごいと思います。もちろんナポレオンが自分ですべて考えたわけではなく、いろいろな側近の人が進言してくることを採用していくのですが、それにきちっと耳を傾けて実行する。トップダウンで全国区的なことを一気にやるわけですから、その実行力はすごかったと思います。

出口

軍人であって政治家であって、ほんとうにいろんな要素を持っているパーフェクトな人に近いですね。

佐藤

すごい人であることは確かですが、ただ、今回小説というかたちで本人の生きざまを書いてみて、それほど自分とかけ離れた人ではなく、等身大で生きている人だとも感じました。

出口

背が低いのを気にしたり、かわいいところもありますね。

佐藤

そういう意味では、一人の人間として当たり前に生きているんですね。陸軍幼年学校に入って、士官学校に入って、一所懸命に勉強して、いろいろなことを覚えて、社会に出てからは戦争で多くの手柄を立てて、地位を築いて、政界に出ていって……と、努力して段階を踏んで、現代でもありえるような歩み方をしている。生まれながら非凡で、何をやってもみんながひれ伏して、みたいなわけでは決してない。

歴史の長いスパンの中で見たら、ナポレオンのような人は二度と現れないかといえば、そんなこともないんですよね。

出口

アナール派の歴史家、フェルナン・ブローデルは、歴史を短波・中波・長波の三層構造からとらえるべきだといっていますが、ナポレオンという人物は、フランス革命で解き放たれたエネルギーという時代の大きい波と、その後に起きたジャコバン派独裁やテルミドールのクー・デタといった中ぐらいの波とが、彼の個性とうまく合成して偉業をなし遂げたような感じがします。

佐藤

ほんとうにそうですね。あのタイミングで出てきた個性だからこそ、あそこまでのことができたのだと思います。

出口

おっしゃるように、ナポレオンが百年、いや五十年早く生まれていたら、コルシカのちょっと賢い青年、あるいは戦いに強い将軍で終わったかもしれませんね。今度の佐藤さんの本に接することで、そんな歴史のダイナミズムを改めて考えさせられました。

(「青春と読書」2019年9月号掲載)

佐藤賢一(さとう・けんいち)

作家。1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学卒業後、東北大学大学院で西洋史学を専攻。93年『ジャガーになった男』で小説すばる新人賞、99年『王妃の離婚』で直木賞、2014年「小説フランス革命」シリーズで毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『オクシタニア』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『テンプル騎士団』『ドゥ・ゴール』等多数。

出口治明(でぐち・はるあき)

APU(立命館アジア太平洋大学)学長。ライフネット生命創業者。1948年三重県生まれ。京都大学法学部卒。72年日本生命入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。08年にライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。12年上場。18年より現職。著書に「人類5000年史」シリーズ、『全世界史』(上・下)『世界史の10人』等多数。

元のページへ戻る

ナポレオン第1巻「台頭編」

ナポレオン第1巻「台頭編」

ナポレオン第1巻
「台頭編」
佐藤賢一

2019年8月5日発売
2,200円(本体)+税

1769年8月15日、コルシカ島の小貴族の次男として生まれたナポレオン。一代でフランス皇帝に上り詰めた男は、いかにして「英雄」となったのか?

1793年のトゥーロン包囲戦、1795年のヴァンデミエールの蜂起鎮圧で一躍名をあげ、イタリア方面軍司令官として数々の戦争に歴史的勝利を収めるまでの躍進期を描いた、第1巻「台頭篇」。

ナポレオン第2巻「野望編」

ナポレオン第2巻「野望編」

ナポレオン第2巻
「野望編」
佐藤賢一

2019年9月5日発売
2,200円(本体)+税

イタリア遠征で数々の勝利を挙げ、次にエジプトへ大軍を派遣したナポレオン。だが、諸外国による対フランス大同盟で、フランス本国が危機に陥る。クー・デタで権力を手に入れたナポレオンは、1804年、34歳で初代フランス皇帝の座に。若き将官が皇帝まで上り詰め、ヨーロッパの覇権争いに乗り出す第2巻「野望篇」。

ナポレオン第3巻「転落編」

ナポレオン第3巻「転落編」

ナポレオン第3巻
「転落編」
佐藤賢一

2019年10月4日発売
2,200円(本体)+税

破竹の勢いで諸国との戦争に勝利し、ヨーロッパをほぼ手中に収めたナポレオン。しかしロシア遠征に失敗し、対フランス同盟軍に追い詰められてゆく。1814年、ついに退位に追い込まれ、エルバ島へ流されるが、翌年、島を脱出し、再起を懸けた戦いに挑む。一代でヨーロッパの頂点へ駆け上がった男の怒濤の人生を描く大長編、最終巻「転落篇」。

このページのtopへ戻る
Copyright© SHUEISHA Inc. All rights reserved.