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レンザブロー インタビュー

ライター 武田砂鉄さん

あの時スタメンだったら、こんなの書いてないだろうなあ

 デビュー作『紋切型社会』で話題をさらったライター「武田砂鉄」。ことば、特に世の中で使いまわされる「紋切型」表現を切り口に社会を批評し、今までになかった斬新な論点で注目を集めた。
 武田さんはこれまでも社会を円滑にまわすために私たちがそぎ落とし、隠してきたことばや振る舞いに厳しい視線を向け、新しい切り口でその行いの背後にある本質は何かを探ってきた。そんな武田さんが次に目をつけたテーマは「コンプレックス」だ。最新刊『コンプレックス文化論』が発売されるにあたり、執筆に至った背景を伺った。

コンプレックス文化論 武田砂鉄

『コンプレックス文化論』
文藝春秋/1,500円(本体)+税

 

武田砂鉄さん

【プロフィール】
武田砂鉄(たけだ・さてつ)

1982年東京生まれ。出版社勤務をへて、2014年よりフリーのライターとなる。
著書に『紋切型社会―言葉で固まる現代を解きほぐす』、『芸能人寛容論―テレビの中のわだかまり』『せいのめざめ』(益田ミリ共著)など。

撮影/小林弘樹

「天然パーマ、背が低い、下戸、ハゲ、一重、遅刻、実家暮らし、親が金持ち」・・・・・・だから生まれたものがある!

 帯に羅列された「コンプレックス」のラインナップに思わず目をとめる。私たちがイメージする「よくあるコンプレックス」とは少し違うものたちが並んでいる。今回武田さんが仕掛ける試みは、どちらかというと些末だとして軽んじられてきた劣等感たちに焦点を当て、いろいろな角度から考えようというものだ。例えば「遅刻」というテーマ、まず冒頭で武田さんは「『プーチンですら許されないのに、宮崎駿ならば無限に許されるものはなぁに?』というなぞなぞの唯一の答えが「遅刻」なのだ。」と言い切る。いわれてみれば、確かに。俄然遅刻に対する興味がわいてきたのではないだろうか。本書は評論+インタビューで構成されており、インタビューのゲストもユニークな方ばかりだ。遅刻の回では、武田さんが「泣く子も帰る遅刻界のレジェンド」と紹介する安齋肇さんをゲストとしてお迎えし、『タモリ倶楽部』の人気企画「空耳アワー」での遅刻で一躍有名になった安齋さんしか語りえない苦悩を武田さんがくみ取る。面白くないわけがない。「コンプレックス」と「文化」には密接な相関関係があるとの武田さんの主張の背景には、学生時代から積み重ねてきた観察眼があるという。

 「学生時代、部活でずっと控えだったり、或いは、うまいことやってる同級生から適当に野次られたり、あれ、何だかうまくいかないぞ、って感じた時のわだかまりというか、コンプレックスの源を未だに根に持っていて、それがこの本を書くモチベーションになりました。『おい、こっちは、まだ覚えてっからな』という姿勢。 『紋切型社会』にも書いたことですが、いわゆる成功者たちのドキュメンタリー番組やインタビュー記事を、とにかく斜に構えながら見てきたんですね。『情熱大陸』的なもの、というか、挫折と葛藤と成功と未来が程よく継ぎ接ぎされている物語の手癖が苦手なんです。編集されているから当然なのに、『こんなに明確なストーリーじゃないだろ』なんて思いながら見ている。
 どんな人でも、その仕事を選んだ背景には、とっても細かい構成要素というか、他人から見れば些末な理由や動機があるはずです。それがコンプレックスにあるのではないかとの仮説を立てて論証してみたんです」

 そんな動機から生まれた本書だが、武田さんからコンプレックスに向けられる視線は、ニュートラルで公明正大。むしろやさしさといっていいものを感じる。

 「この本でとりあげたのは、他人から『そんなことでクヨクヨすんな。っていうか、それくらい自分で何とかしなよ』と言われがちなコンプレックスばかりです。そういうものをグズグズ引きずってきた人たちに向けて、どうぞどうぞ、そのままクヨクヨし続けましょうよ、と言いたかったんです。」

 そのやさしさは悩める人たちを「コンプレックスの解消」へと導くものではない。しかし武田さんが一つのコンプレックスに対して社会や芸能、文学における様々な具体例を引き合いに、いろいろな角度から論じるのをみると、自分の劣等感を少し離れたところに置いてから冷静に眺めることができるような気がするのだ。あとがきでの一言「コンプレックスを外から剥がすことはできないけれど、飼い馴らす方法の選択肢のひとつくらい提供できていれば嬉しい。」が心にしみる。
 武田さんの文章を読むと、その切り口の新しさ、引用元の多様さ、評論ともエッセイともジャンル分けできない幅広い表現から、彼の肩書はなんなのだろうと考えてしまう。政権に厳しい目を向けた文章から、加藤一二三九段のテレビにおける役割を考察した文章まで、あらゆる題材を取り上げる武田さんは自らを「ライター」と称する。

 「肩書きなんてどうでもいいのですが、どこかしら『現場荒らし』みたいな感覚があるので、その肩書きを使っているのかもしれません。あちこちで開かれているライター講座の類いのレポート記事を読むと、『ライターはまず専門分野を持ちなさい』とある。自分はそうは思わないんですね。急いで専門家になんかなりたくない。たとえ知らない分野のことでも、依頼があれば、とりあえず『やります!』と引き受けてみる。で、引き受けた後に『いや、どーすんだこれ、なんも知らねーぞ』と慌てふためく。でもそこから、そのテーマの本を何冊も読んだり、誰かに話を聞いたりして、書けそうなことを立ち上がらせていく。他の寄稿者は真正面から向き合う原稿を書いてくるだろうな、と思えば、斜め上から、背後から、あるいは地下から、と、異なる角度で突っ込む方法を考えればいい。色々なことに手を出して、結局何をやっているかよく分かんない存在でもいいのかな、とは思っていますね」

 「専門的である」ということの価値がどんどん高まっていく風潮の中で、批判をうけることも多い「現場荒らし」にあえて徹する。加えて実名を挙げて批判することを厭わない。世間に対して「忖度」をしない姿勢は、武田さんの表現における理想ともどこか重なる。

 「例えば、政治ジャーナリストが、最寄り駅から家に帰るまでずっと政治のことを考えているわけがないわけですよね。政治のことを考えつつも、おっ、この商店街にこんな新しい店ができたんだと気付き、あっ、花が咲いている、と道端に目をやり、今すれちがったカップル、最近よく見るなと振り返る……頭の中には、こうしていくつもの要素が混ざり込んでくるものです。
 ひたすら政治についてだけ書く、というのは、生活に入り交じってくるその他の要素を捨ててシンプルにするということ。でも、もしかしたら、それを捨てずに混ぜ込んだまま書いたほうが、自分の考えている事を素直に文章に落とし込めるのでは、と思うんです。極論ではありますが、政治のことを書く時に、さっきすれ違った小学生同士の会話を、老夫婦の仕草を盛り込みたい、って思うんですよね」

 雑然としたものを雑然としたままとらえたい、確信犯的にそう声をあげる武田さんの発想の根底にはどんな考えがあるのだろう。

 「世の中に広く流布する固定概念に疑いがあります。分かりやすいのは、メディアが伝える若者像ですよね。自分が中高生の頃、同年代が起こした凶悪犯罪が重なり、『キレる若者』なんて言われました。未だに『最近の若者は……』と繰り返す年配の書き手も少なくないですが、少し調べれば、少年犯罪は年々減っていて、『皆さんが若者だった頃のほうが……』と言える。目の前に差し出された『君ってこうだよね』という決めつけに対して、『勝手に決めつけないでください』といちいち憤りたいと思います。
 世の中、もっとごちゃごちゃしてていい、と思うんですよ。動機も理由もひとつではない。『○○って○○でしょ』という規定を、そんなに簡単に決めちゃダメでしょう、と告げて、引き下がらせたい。そうじゃなくて、複雑であれ、と。」

 最後に、今気になっているテーマをお聞きした。

 「既に様々な原稿で書いていることですが、いまだ世の中に残存しているマッチョイズムに対する苛立ちは常にありますね。『紋切型社会』の中で、『そうはいっても男は』というフレーズや姿勢について考察したのですが、あちこちで見受けられる『やっぱり最終的には男が決めなきゃ』という風土には関心を向けています。最近刊行された酒井順子さんの『男尊女子』は、むしろそれを待望する女性たちの姿が書かれていて、興味深く読みました。コンプレックスにしても、マッチョイズムにしてもそうなんですが、息をしづらい人が少しでも息をしやすくなればいいなって思うし、そのために、抑圧する側をねちっこく考察していきたいな、と思っています」

 
映像化コーナー

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