第40回すばる文学賞受賞作 そういう生き物 春見朔子 RENZABURO
内容紹介プロフィール第40回すばる文学賞対談 春見朔子×角田光代
内容紹介 薬剤師の千景と、スナックに勤めるまゆ子。
高校の同級生である二人は、まゆ子の勤める店で十年ぶりに再会し、思いがけず一緒に暮らすことになる。
千景は、大学の恩師である「先生」の家を訪れては、言葉に出しにくい感情を抱えつつ、共に線虫の観察をする日々。
一方、まゆ子は、千景の留守中に突然訪ねてきた「先生」の孫と、カタツムリの飼育をめぐり、交流を深めてゆく。
微妙な距離感での暮らしぶりを、それぞれ見つめ始める二人。
そんな中、高校時代の友人の結婚式が近づき、二人はかつての自分たちの「深い関係」と「秘密」とを改めて思い返し、葛藤し、そして……。 そういう生き物 春見朔子 2017年2月3日発売 定価:1,300円(本体)+税 カバー作品:土屋仁応「青い人魚」 2009, 8.5×64×18cm, 檜・水晶・彩色 撮影:竹之内祐幸 写真提供:メグミオギタギャラリー 装幀:鈴木久美
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プロフィール 春見 朔子(はるみ・さくこ)
1983年5月2日生まれ。北海道出身。札幌市在住。北海道大学薬学部卒業。北海道内で薬剤師として働きながら、 2015年より小説を書き始め、 2016年、今作にて第40回すばる文学賞受賞。
第40回すばる文学賞対談 春見朔子×角田光代 「わかったフリをしないで考える」という資質 千景(ちかげ)とまゆ子は高校の同級生。偶然の再会を機に、同居生活を始めるが、ふたりは単なる同級生ではなかった──。
二〇一六年度、第40回すばる文学賞を受賞した春見朔子さんの「そういう生き物」は、同級生同士の同居生活を描いた作品です。一見ありふれた日々を送るふたり。しかし中盤以降、それぞれが抱える性愛への違和感が徐々に描かれ、読み手を物語にどんどん引き込んでいきます。
本書刊行にあたって、同賞選考委員の角田光代さんをお迎えし、春見さんとお話しいただきました。
構成=山本圭子/撮影=山下みどり
「作家って本当になれるんだ」と思ったできごと
 春見さんは、歌人で作家の加藤千恵さんとお友だちだそうですね。加藤さんは「(春見さんが)小説を書いていたことを全然知らなかった」とおっしゃっていましたが。
 一昨年の春から急に書き始めたので、誰にも話していなかったですね。
 なぜ小説を書き始めたのですか。
 子どもの頃から書きたい気持ちはありましたが、「無理だわ」と思って。ノートに書いたこともありましたが、下手すぎて嫌になりました。根性がなかったんですね。でも一昨年の春、ある友人に「子どもの頃は作家になりたかった」と話したら、「今からでも小説を書いて賞に送ってみたら?」と言われて。そこから急に書き始めました。
 お友だちが作家ということについては、どういうお気持ちでしたか。
 加藤千恵さんがデビューされたとき、私は小説を書いていなかったので、単純に「すごーい!」と。ただこうなってみると、やはり間違いなく影響はあったと思います。作家というのが別世界の人ではない、生身の存在なんだと実感として知ることができたのは大きかったですね。
 最初に「そういう生き物」を読んだとき、「上手いな」と思いました。いろいろなことがすごく練られているし、伏線も入っている。ただ新人賞の場合、「上手い」ということがマイナスになる場合もあります。「上手い」というのは「完成度が高い」ということですが、時にはそれが「既視感がある」という見方にもなるので。ただ私は「いい小説だな」と思いました。
 ありがとうございます。
 小説のテーマとしてジェンダーの問題が出てきますが、何がきっかけで考え始めたのですか。
 子どもの頃、テレビに出ていた人が「見た目は男だけど心は女なのよ」と言っているのを見て、「心は女ってどういうことだろう」と思ったんです。「私は自分が女であることに違和感を持ったことはないのですが、体とは独立した存在として心が女だと感じたことも特にない。それって不思議だな」、と。周りの人たちが心の性別の有無を不思議に思っていないようなのも不思議で……そういう疑問はずっとありました。
 「内面と外側がズレているってどういうことだろう」と思われたのでしょうか。
 ズレているというのは、決まった形があるからこそだと思うんです。でも私は、そもそも内面に形があるかどうかすらわからない。だから、ズレているかどうかもわからないんです。


「わからないぞ、それは」ということをふわっと書いた
 新人賞の候補作を読んでいると、ジェンダーを扱うときの図式が決まっている感じがします。でも「そういう生き物」は、ことさらジェンダー問題を書いているわけではない気がして。
 確かに、一般的に言われているようなジェンダー問題ではないと思います。私の疑問はそこじゃない、というか。
 春見さんがお書きになっているのは、心が女で姿が男だとか、心が男で姿が女だというような、はっきりした実例ではないですよね。私が私であることに違和感があったり、ズレという言葉すら使えないような何かがある、ということだと思います。人と人との間にも、言葉があてはまらないような関係があったり。そういうものをすごく上手く書いているな、と思いました。
 言いたいことが書けているのか、自分ではよくわからないのですが。最終的に言いたいことのためにどう話を積み上げていけばいいのかとか、規定の百枚に達するのかとか、悩みながら書きました。ただ「何かをすごく訴えたい」というより、「わからないぞ、それは」ということをふわっと書いた気がします。
 だからよかったのかもしれませんね。「小説だから何か訴えなきゃ!」というのだとちょっと困ってしまう。本当はわかっていないジェンダー問題なのに、わかった立場になって訴えてしまうのはよくあることです。でも春見さんの小説にはそういうところがないし、結論的なことも書いていない。孤独とか絶望とか、真面目なことをストレートに書きがちだけれど、それをすごく丁寧に抜いている、という感じがしたんです。千景とまゆ子というふたりの主人公にどうでもいいことしかしゃべらせていないので、逆に読み終えたとき本当に切なかった。
 「そういう生き物」の中にも「わからない」という言葉をいっぱい書いた気がします。千景とまゆ子の交互の視点で書いたのは、テーマ的にどちらか一方の視点じゃないほうがいいと考えたから。私自身をふたりに分けた感じで、私の冷静な部分が千景、そうじゃない部分がまゆ子かなと思います。
 春見さんは「それってこういうものでしょ」と決めつけて話すこと、「わかっている」前提で話すことが嫌なのではないでしょうか。
 そうですね。言葉の定義などもすごく気になります。誰かとしゃべっていて、ちょっと言い合いになったとき、途中から「これはそもそもお互いが使っている言葉の定義が違うんじゃないか」みたいに感じていることは結構あります(笑)。
 そういうことは、小説を読んでいてもよくありますよね。例えば、あるカップルがすごくきちっとした言い合いをしている。「こんなに互いの言葉をわかりあえているのなら、そもそもケンカしないんじゃないか」と思ったり(笑)。ただ「わからない」って突き詰めると虚無じゃないですか。「どうせわかりあえないのならコミュニケーションをとらないほうがいい」という話になってもおかしくない。でも、春見さんの小説はそうなっていないですよね。「人と人が根本的にわかりあうことはないのだから」と閉じていないのはすばらしいと思います。


大事なことを計算しないで書けるのは才能
 最近角田さんの小説を読んでいて、ある登場人物のことを「絶妙に嫌な人だな」と思ったんです。単にいじわるな人じゃないのですが、そういう人もモデルがいるのではなく想像で書いていらっしゃるのでしょうか。
 想像ですね。嫌な人がぱっと小説に出てきて、それだけの役割を終えて出ていくのは、書き方としては簡単だと思います。「そういう生き物」の中にも嫌な感じの昔のクラスメートがいましたが、彼女も書きようによってはただの悪役になったかもしれない。でも、「あの人にはあの人の現実があって、噂話をするような世界で生きているんだ」と感じさせた。それって実は難しいことなんです。多分、春見さんは計算していないと思いますが。
 計算していないです。
 ああいう昔のクラスメートが出てくることによって、千景とまゆ子の〝普通になじめない感じ〟がよく表れていた。「高校時代、ふたりとも一生懸命周囲に合わせていたけど、本当はすごくつらかったんだろうな」と思いました。でもそれはクラスメートたちが悪いのではなくて、千景とまゆ子が「そういう生き物」だから。そのことを自然に際立たせることができたのは才能だと思います。
 選考委員の方々にいろいろなことを言っていただきましたが、実はまだ選評を何回も読み返したわけではないんです。読まなきゃ、と思ってなんとか読みはしたけれど、こわくて。
 今回の選考会の「そういう生き物」についての意見で、「そこまで作者は考えて書いていないんじゃないか」と感じたものがありました。評する側の深読み、というか。その意見を聞くと「この作者はすごい。そこまで計算していたんだ」と思ってしまうんだけれど、でも本当に計算して書いていたらもっと小説が下手だと思うんですよね。頭で書いたような話になるので。さっき「完成度が高いと既視感につながることもある」と言いましたが、作りすぎと言われることもあります。伏線を意識して書いて、「よし、ここでばっちり回収できた!」と自分では思っても、他の人にとってはそれが鼻についたりするので。
 難しいですね。
 そうですね。無意識にやれって言われてもね。


薬剤師を続けながら読み、書くことの大変さ
 小説を書き始めてから、今まで趣味で本を読んでいた時間を執筆にあてるようになったので、最近全然読めていないんです。近代の名著みたいなものをあまり読んでいないのも気になって。
 薬剤師をやっていらっしゃるんですよね。
 はい。だから書いたり読んだりする時間は平日の夜か、土日になります。今のところは、薬剤師の仕事も続けるつもりですし。
 受賞者に対して、純文学の新人賞の選考委員は「仕事を辞めるな」と言い、エンタメの新人賞の選考委員は「早く辞めて筆一本で生活できるようになれ」と言うようです。はっきり分かれて面白いですよね。今までで一番好きな作家はどなたでしたか。
 好きな方はたくさんいますが……筒井康隆さんは特別な存在のような気がします。角田さんは小さい頃からずっと読むのがお好きでしたか。
 そうですね。でも私もデビューした頃は近代の名著とか、あまり読んでいませんでした。自分ではいろいろ読んできたつもりでしたが。先輩方に「○○は読んだか」とよく訊かれて、正直に「読んでいません」と答えたら、「それでよく作家になろうとしているな」と言われましたね。
 こわいです。
 それで頑張って読むようにしましたが、名著をすべて読もうとしても結局追いつかないじゃないですか。だから「読んだ」とも「読んでいない」とも言わずに黙っていることにしました(笑)。ただ、自分は基礎工事の一部を抜かしているというコンプレックスはずっとあります。そういう思いは春見さんも残るかもしれません。
 名著を読んでいないし、文学がわかっていないんじゃないかという思いは強いです。わかっていないのは文学に限ったことではないかもしれませんが。仕事中はずっと薬局の中にいて患者さんと接することもあまりないし、付き合っている友人も高校時代から仲のいい子だったり。年齢を重ねても感覚が変わらないので、友人の話を聞いて「会社ってそういうものなんだ」みたいなことをよく感じます。
 私も学校を出てすぐこの仕事に就いたので、世の中にどういう仕事があるのかとか、あまりわかっていないんです。以前小説に、課長が部長に何かを命じる場面を書いたこともありました。部長のほうが役職が上なんですってね(笑)。
 生まれ育った北海道から離れて暮らしたこともないんです。「そういう生き物」は今住んでいる札幌が舞台のつもりですし、主人公のひとり・千景も私と同じ薬剤師。そもそもそれしかわからないからそうなった、という部分もあります。知っていることだけで小説を書くわけにはいかない、とは思っているのですが。
 自分の生まれた土地などにこだわって書く方もいらっしゃいますよね。ただ文学についても世の中についても、先ほどの話と同様に、春見さんの中に「それってこういうものでしょ」という考え方を拒むところがあるような気がします。
 特定の性別、世代の「普通の人」を書こうとすると、「どういうしゃべり方が普通だっけ?」とわからなくなったりします。考えてみればどんな性別、世代でも「普通の人」なんてわからないのですが、知っているサンプルが少ないと余計に。
 わかったフリをするのが嫌で「本当はわからないんじゃないの?」と考えてしまう。それは小説を書く上ですごく強みになると思います。そういう資質を持っていらっしゃるのだから、ぜひ長く書き続けて下さい。急がなくてもいいので。やめるのは書かなければいいだけだから、簡単だと思うんです。書き続けていれば、絶対あとからいいことがついてきますから。次作を楽しみにしています。
 ありがとうございます。

(「青春と読書」2017年2月号より)

角田 光代(かくた・みつよ)
作家。1967年神奈川県生まれ。著書に『空中庭園』(婦人公論文芸賞)『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)『ツリーハウス』(伊藤整文学賞)『紙の月』(柴田錬三郎賞)『かなたの子』(泉鏡花文学賞)『私のなかの彼女』(河合隼雄物語賞)等多数。
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