佐藤賢一「小説ナポレオン」 「小説フランス革命」から「小説ナポレオン」へ 佐藤賢一 ナポレオンの影を追って <小説フランス革命>第二部 文庫刊行! 佐藤賢一 プロフィール

「次はナポレオンですね」
 と、よくいわれた。「小説フランス革命」を書いているときだ。いやあ、この超長編を仕上げることしか、今は頭にありませんよ。そうやって誤魔化しながら、やはり見透かされてしまうかと、私は苦笑するしかなかった。「小説フランス革命」の取材に出たのが二〇〇四年だが、その旅ではコルス島にも渡っていた。日本ではイタリア語で「コルシカ島」というほうが通りがよい、ナポレオンの生まれ故郷である。首府アジャクシオを訪ね、博物館になっている生家から、山奥に隠れるような別荘まで取材して、要するに「小説フランス革命」を始めるときには、すでに「小説ナポレオン」を見据えていた。姉妹編として書きたいとさえ考えていた。とはいえ、やはり「小説フランス革命」は長かったのだ。
 いよいよ「小説ナポレオン」にかかろうと、取材に出たのが今二〇一四年の六月で、前回の取材から十年がたっていた。まずパリに入り、ルーヴル美術館でダヴィッドの「ナポレオン一世の戴冠」をみた。ノートルダム大聖堂で、その現場も確かめた。リュクサンブール美術館で折よく「ジョゼフィーヌ展」もやっていたので、そちらを回ることもできた。新幹線タリスでベルギーまで足を延ばし、ワーテルローの戦場も訪ねた。ナポレオンの最後の戦いが行われた場所で、まさに合戦のために誂えられたかのような広大な平原だった。いったんパリに戻ってから、改めてナポレオンが愛したというフォンテーヌブロー宮殿に向かい、その足でさらに下った先がシャンパーニュ地方だった。ブリエンヌ・ル・シャトーというオーブ県の小さな町、というより村の規模の自治体に、ナポレオンが少年時代に在籍していた兵学校の建物が残っていて、ちょっとした博物館になっていたのだ。
 ここで、えっと驚いた。思いの外に充実した展示に見入っていると、壁に張り出された地図から、サン・ディジエ、トロワ、ランス、バール、ショーモン、クラオンヌ、ラン等々、ナポレオンは他にもシャンパーニュに多く足跡を残すことが判明した。少年時代をすごしたのみならず、一八一四年には戦場として転々としたのだ。まさにみどころ満載だったが、とても全部は回れない。もとよりナポレオンの全ては辿れないのだとあきらめて、ブルゴーニュ地方のディジョンに向かった。国境を越えてスイスに入り、ジュネーヴからはレマン湖の畔を進んで、ローザンヌ、マルティニと経由、そこから一気に抜けたのがサン・ベルナール峠だった。一八〇〇年のイタリア遠征でナポレオンが通過した、アルプス越えのルートである。これが今回の旅の目玉で、期待に違わず圧倒的な体験になった──はずなのだが、このあたりから、ちょっと感覚がおかしくなり始めた。
 サン・ベルナール峠からは、アオスタ、イヴレアと経由して、ミラノに入った。私には初めてのイタリアだった。ああ、イタリアなんだと興奮し、イタリア料理に舌鼓を打ち、イタリアの葡萄酒に酩酊し、ほとんど感動までしたが、そのまま感慨に浸るわけではない。いや、本当ならサン・ベルナール峠だけで、それをオカズに三日は御飯が食べられる。初めてのイタリアとなれば、一週間は心が満腹になる。それだけ内容の濃い旅なのに、感慨に浸るわけではない、いや、感慨に浸る暇がないのだ。イタリアに入れば、マレンゴ、マントヴァ、アルコレ、リヴォリと、再びナポレオンの戦場巡りである。広大な麦畑を走り、閑静な湖畔の街並みを睨み、あるいは小さな丘がいくつも連続するような山中に分け入りながら、移動、戦場、また移動の繰り返しだ。移動には車を使ったが、その運転手さんも嫌がるほど、あちらに飛び、こちらに回りで、まったくナポレオンという男も忙しないなと吐き出したとき、ああ、そうかと得心した。
 戦場巡りで実感するまでもなく、ナポレオンは行動の人である。まさに東奔西走、私が取材で回るどころの話でなく、移動、戦場、また移動の繰り返しだったはずだ。そんな日々ではナポレオンも、先々で感慨に浸る暇などなかったろう。食事を楽しむ余裕すらなく、栄養さえ補給できれば、もう上等という感じだったかもしれない。いや、それどころか、ほとんど何も考えなかったのではないか。戦略とか戦術とか、あるいは政治や外交など、目の前の難題については、それこそ寸暇を惜しんで取り組んだに違いないが、他面で物思いに耽るということはしなかった。ましてや守られるべき正義だとか、あるべき理想だとかについては、少しも考えなかった。あるいは主義主張、思想信条の類は一切持たず、はじめから思い悩む必要がなかったのか。
 いずれにせよ、それは「小説フランス革命」とは全く別なベクトルである。革命の舞台は、ほぼパリだけだった。革命家は動かない。とことんまで考え、あるいは議論し、文章は書くものの、どこかに移動することはない。同じ場所で思考だけが、深く、深くと掘り下げられていく。勢い、小説は葛藤や内省の趣が強くなる。その姉妹編どころか、「小説ナポレオン」は全く違ったものにならざるをえないのだ。
 ナポレオンはヨーロッパを股にかける。考えるより先に行動する。葛藤だの、内省だのといった堂々巡りの思考はなく、むしろ行動することが、最大の哲学である。猛スピード、急ターン、ノン・ストップの疾走こそが、絶対の正義であり、究極の理想なのである。
 全編が息もつけないジェットコースターのような歴史小説──私が書き出そうとしている「小説ナポレオン」のイメージは、それである。

ナポレオンの影を追って


授賞コメント 佐藤賢一 毎日出版文化賞特別賞は、著者と出版社に贈られる賞と聞きました。傲慢な言い方になるかもしれませんが、それなら私の『小説フランス革命』に相応しいと思いました。連載、刊行、それぞれ六年という時間の長さ、原稿用紙六千枚、全十二巻に及ぶ量の多さ、全編外国が舞台という編集校正作業の難しさ、さらに売りにくさ、広めにくさ、それら何重もの困難を乗り越えるべく、一緒に奮闘してくれた多くのスタッフがいてくれて、はじめて完成した作品こそ、私の、いや、私たちの『小説フランス革命』だからです。まさに団体戦の勝利──この場を借りて謝意を表すと同時に、ともに喜びの声を上げたいと思います。もちろん、『小説フランス革命』を選んでくださった方々にも、御礼を申し上げなければなりません。再び『小説ナポレオン』という難事に乗り出そうとする今、大いなる自信と勇気を与えられたことを、付記させていただきます。


ジロンド派の興亡 小説フランス革命 10
定価:620円(本体)+税
2014年9月19日発売
祝! 毎日出版文化賞特別賞受賞!

<小説フランス革命>第二部 文庫刊行!

ジロンド派の興亡 小説フランス革命 10佐藤賢一

1792年。憲法が制定され立法議会も開かれたフランスだったが、さらなる凶作と物価の高騰に民衆はいまだ飢え、苦しんでいた。そんな中、失墜した王家の威信を取り戻したいルイ16世は、国民の不満を国外に向けるため他国との戦争を望むジロンド派の面々を起用し、開戦内閣を組織する。反戦を主張するロベスピエールの抵抗もむなしく、フランスはついに戦争を開始し――。
歴史巨編、新章突入!

解説/金原瑞人

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佐藤賢一(Sato Kenichi)

1968年山形県鶴岡市生まれ。
山形大学卒業後、東北大学大学院で西洋史学を専攻。
93年『ジャガーになった男』で第6回小説すばる新人賞、
99年『王妃の離婚』で第121回直木賞受賞。
2014年<小説フランス革命>シリーズで第68回毎日出版文化賞特別賞受賞。
著作に、『傭兵ピエール』『オクシタニア』『双頭の鷲』『褐色の文豪』『カエサルを撃て』『新徴組』『かの名はポンパドール』などがある。




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