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ドライバー 中島さなえ

 

vol.7 hang glider

 夕暮れに神鳥を見た。
 彼は突如として湖畔の上空から姿を現し、気流から気流へと巧みに乗り換えながら山脈へと舞い上がっていった。沈みゆく太陽と同じ、オレンジとマジェンタで彩られた巨大なからだから、見たこともないシンメトリーな美しい翼をまっすぐに広げていた。
 俺は驚きを抑えきれず、危うく地面へと落ちかけた。あわててその場で二、三度旋回して体勢を立て直し、巣へと戻る東のルートへ方向転換した。湖畔に沿って高度を少し下げ、羽をいっぱいに開ききって滑空していく。
 生まれて八年。あんなに巨大な鳥は見たことがない。この山脈のふもと一帯で案内人を意味する「ギアス」という名前で呼ばれている俺たちは、長らくコンドルの連中と強さを張り合ってきた。しかしあの美しい鳥は、どの種より群を抜いて大きい。もしかすると、空から雷を振り落とすという伝説の神鳥・サンダーバードだろうか。それにしては、あのおだやかなたたずまい。風にも地上にも生き物にも、なにに対しても挑発をする様子はなかったし、すべてに対して公平のように思えた。
 胸の鼓動は収まる気配もない。喉の奥からカラカラと乾いた音が鳴った。一度巣に戻ったら、仲間のもとへ一目散に飛んで話してきかせたかった。
 森に入って巣へと戻ると、ウズマキが注意深くあたりに気を払いながら爪の先を手入れしているところだった。
「おかえりなさい、アシキズ」
「今日はいけなかった。獲れたのはこれだけだ」
 俺はため息をついて、まだ生暖かいテンジクネズミをウズマキのそばにおいた。
「おまえが全部食べていいぞ」
 ウズマキは瞬きをしてうなずくと、ネズミの腹にクチバシを突き刺し、腹から脇、背中へとひっくり返しながら器用に細かく刻んでいった。ウズマキはもう二週間もすれば雛を産む。俺たちにとって、初めての雛だ。俺は二日間ろくに食っていないが、ウズマキの出産を思って耐えた。そのあいだ、空腹を紛らわそうと、さっき見た巨大な神鳥の話をしてきかせた。ウズマキはネズミをついばみながら目を見開いて聞いていたが、ほとんど理解できないようだった。意見を言う代わりに、残った手足の先を俺の前に差し出す。
「ありがとう。いただくよ」
 ネズミの手足の先はほんの豆粒くらいにしか腹を満たしてはくれなかったが、ウズマキの思いやりがうれしかった。脳みそは心細いが、心の詰まったいいメスだ。連れ合いになってから不満に思ったことは一度だってない。
 そのとき派手な羽音がして、近所に住むコシロメが巣に降り立った。コシロメは、ギアスの中でも特別に頭のいいオスだ。ギアスたちの中では、彼か俺のどちらかが、将来のリーダーになるだろうと言われている。
「アシキズ、粘ったんだな」
「ああ。昨日が〝ボウズ〟だったものだから、自分でもムキになった」
 俺が冗談めかして言うと、コシロメはクチバシを空に向けて豪快に笑った。
「うちはいよいよ親父のシロメが引退だ。筋肉が弱って毛も抜け始めた。近場で餌探しをしていたが、もう今週あたりで限界だろうさ。あれじゃあナマケモノにだってやられちまうよ」
「シロメはおまえたちがいるから、心強いと安心していたよ」
 俺はふと思い出し、「実は夕暮れに、すりバチ山の近くで神鳥を見た」と、コシロメの目をまっすぐに見つめて報告した。コシロメは首をかしげ、すぐに食いついてきた。
「神鳥? それはどんな鳥だ」
「目が焼けるようなオレンジとマジェンタの縞模様の翼を持ち、からだは俺たちの三倍はある」
「そんなことがあるもんか! 俺たちはコンドルの奴らよりでかいんだ」
「風を完璧に制覇して、堂々としていた。尾っぽの強さも相当あるとみた」
「近くで見たのか?」
「いや、近づけなかった」
 コシロメはハッと声を上げて笑い、おかしそうに羽を振った。
「それはな、アシキズ。人の作った乗り物だ」
「乗り物?」
「おまえにも前に何度か話して聞かせたろう。ヒコウキにキキュウ、ヘリコプター」
「俺が見たものは違う」
「いや、人が作ったものに違いない。連中は驚異的な頭を持っていて、観察し、盗んでは研究し、なんでもその通りに作ってしまう。親父たちに聞いた話じゃあ、今では空を突き破って頂点にまで飛んでいく乗り物もあるらしい」
「頂点にまで?」
 俺はあまりのことに肝をつぶしてしまった。
「そうだ。空を突き破って星の上まで飛んでいき、頂点の天井が見えたらあわててUターンをして地上に戻ってくる、ということを繰り返しやっているらしい」
「そんな危険なことまで……」
「それだけじゃない、時間もかかる。一度行って戻るのに十年だっていうんだ」
「じゃあ、人が空の頂点へ三度行って戻っているあいだに、俺たちギアスは生まれて死んでいっているってわけか」
 なぜそこまでして空の上をのぞきにいくのか、まったくもって不可解だった。
「だからアシキズ、おまえが見かけたのも人が作ったものだ。どうせ、頑丈な金属におおわれた大きな乗り物に飽きたんだろうさ。今度は初心に戻っていちから鳥の物真似だ」
「そうか……」
 勝ち誇ったように言うコシロメから顔をそらし、ウズマキをうかがい見る。腹が満たされて血が巡り始めたのか、彼女はいつのまにか巣の端で身を丸くして、やすらかな寝息をたてていた。

 翌日の正午、すりバチ山よりもずっと南側の草原の端で、夕暮れに遭遇した神鳥が飛行しているのを見つけた。昨日見た時よりもずっと低い位置を、さらに高度を下げながら草原へ降り立とうとしていた。俺は少し離れたアルガロボの樹に留まってその様子を眺めることにした。神鳥は一度ゆっくりと大きく旋回して地面へと近づき、「ズササササアァァァー」と、腹の部分を土にこすりつけるようにして止まった。それと同時にエンジン音が聞こえてきたかと思うと、草原の向こうからオンボロの車が現れ、あたりに焦げたガソリンのにおいをまき散らした。
「ミスタークーパー」
 車から降りた浅黒い顔の男が声をかけると、乗り物の翼の下から、ヘルメットをかぶり全身青い服に身をつつんだ長身の男が、よろめきながら這い出てきた。アルガロボの樹から、彼らのそばにある岩へと素早く移動する。
 クーパーと呼ばれた男がヘルメットを取る。肌は山の頂のように白く、ボサボサの髪はまばゆいばかりの金色だった。
 クーパーが大きく息を吐いて車の男になにごとかを言うと、車の男はのけぞって笑っていた。
「オーケー。ワンモア」
 二人で肩を叩き合い、翼の両側へと歩いていく。二人は翼から棒のようなものを何本も抜き取り、地面の上へ重ねていった。あんなに雄々しく張っていた翼は途端に力を失い、川にうち捨てられた魚の皮のように情けない姿になった。俺がその芯の強さに目を見張った尾っぽの部分も簡単に取り外され、ただの棒きれと化して土の上へと放られた。車の男が棒を集めて袋に入れているあいだ、クーパーが翼の皮を丁寧に丸めてバンドでとめていく。
 ――やっぱりコシロメの言うとおりだった。ただの、人のつくり物だった。
 俺は、ケッとクチバシを鳴らして岩を一蹴りすると、西の森へ晩飯のナマケモノを探しに出発した。後ろから車のエンジン音がおおいかぶさってきたが、俺はもう見向きもしなかった。

 それから二日が経った。俺はいつものように湖畔に沿ってゆっくりと飛んでいた。もう神鳥と見間違えた乗り物を目の端で探すことはなかった。
 いつだって人はおかしなことばかりやらかしている。湖の端、西の森から山側にあるラゴ族の住む村では、年に一度のこの時期、俺たちギアスのうちの一羽を捕らえにくる。自分たちの村に連れ帰り、一週間うやうやしく神として奉るという豊作祈願の祭りを開いているのだ。
 普段食わない豪勢なものばかり腹に詰めこまされて、体調を崩して帰ってきた仲間もいるし、それどころか中には、祭りの最後の儀式で死んでしまったものもいる。祭りのメインとなる最終日はギアスの飛翔力がためされるので、からだの弱いものや年老いたものは生きて戻れないことが多いのだ。
 ――うわさをすればだ。やつらが来やがったか。
 地上の草原を見下ろすと、あたりにおとりの牛肉の塊が点々と落ちていて、馬を降りた数人のラゴ族が、風上から一羽のギアスを追っていた。気流に乗って飛び立つことができず追い詰められたギアスは、翼を広げて威嚇している。見覚えのある、カクカクとした動きに目をこらした。
「シロメじゃないか」
 俺は思わず叫び、近くで確認するために高度を下げていった。
 シロメはところどころ羽根の抜けた翼を振り、クチバシを最大限に開けて歩き回っている。リーダーらしきラゴ族が合図の声を上げると、馬の荷から棒と網を取ってきた男たちがシロメに詰め寄っていった。
〝うちはいよいよ親父のシロメが引退だ。筋肉が弱って毛も抜け始めた。もう今週あたりで限界だろうさ〟
 三日前に聞いたコシロメの話を思い出し、咄嗟にラゴ族とシロメのあいだに突っこんでいった。ラゴ族が「危ないぞ!」と大声を上げて、馬のほうへと下がる。一瞬あたまの中に、ウズマキの大きな腹と真っ黒な瞳がよぎったが、俺はそのまま地面へと降り立ち、シロメが飛び立つのを手助けした。
「コシロメに伝えてくれ、俺が戻るまでウズマキに食い物をと」
「わかった。感謝する、アシキズ」
 シロメは白濁した両目をしばたかせて、老体にむちうって上空へと舞い上がっていった。しばらく尾っぽが上下に揺れていたものの、気流に乗って安定したようだった。
「さて……」
 大きく息を吐いた俺はラゴ族に視線を戻し、羽を広げて威嚇してみせた。目の下から鼻にかけて黒い線を引いたラゴ族は俺を見据え、棒を器用にあやつって風下へと追いこんでいった。俺はわざと棒の届く位置までにじりよっていき、飛び立つそぶりをしてみせた。その瞬間に全身に網がかぶさり、端が棒で押さえつけられた。
「捕まえたぞ!」
 全員が興奮した様子で叫んでいる。何人かの若者が俺の羽を両側から持ち上げて、馬の腰へとくくりつけた。馬のからだは汗で湿っていて、やたらと熱い。ラゴ族は威勢良く掛け声を上げて、草原を走り出した。馬の腰の上で乱暴に揺すられながら、ウズマキやギアスたちのことを思った。
 ――たかが一週間だ、なんともない。
 そう思い直し、全身を拘束している網の目を強く掴んだ。(後編に続く)

 

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