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ドライバー 中島さなえ

 

vol.5 Train

  追跡日誌 十一月二十一日(月)
「やる時はやる やらなければできない やろうと思えばできる やってもできないこともたまにある やろうと思っても無理があり うまくいかない時もよくある」
 これがわたしの中学生の時からのモットーだ。金曜の尾行は失敗に終わってしまったけれど、今日こそは成功させる。学校も一日休むことに決めた。
 まずは変装だ。タンスの中をひっくり返して、一番地味で目立たない洋服を選んでいった。濃いグレーのチノパン、紺色のパーカーの上に黒のブルゾンジャケット、父親の部屋からパクってきた茶色のハンチング帽に黒いサングラス。完璧だ! 自然に笑みが浮かんでしまう。両親の目を盗みつつ、意気揚々と家を出た。
 結果、とても目立った。たばこ屋のおばちゃんには「香月ちゃん、そんな妙ちきりんな格好してどこへ行くの?」と声をかけられたし、幼なじみの田中君のおじさんなんかはわざわざ車を停めて、「学校はどうした、かづちゃん」と大声で叫んだのだ。まったく変装できていない。でもしかたがない、平雀さんにさえわからなければそれでいいと思った。
 駅までの道を急いだ。そして、電車に乗った時にようやく思い出した。昨日の晩に来た恭子と聡美からのメールに、〝応援してるからね! 明日はわたしたちも同じ電車に乗って、香月が平雀さんに話しかけるきっかけがないか探ってあげる〟と書いてあったではないか。
 すると案の定、恭子と聡美が自分たちの駅から合流して、黒尽くしのブルゾン&サングラスといういでたちのわたしに、制服姿の彼女たちが興奮気味に話しかけてくるという非常にまずい絵になってしまった。平雀さんも時おり眉をひそめながら、こちらを気にしてしまっている。大林駅で恭子と聡美を無理矢理に降ろすと、わたしは「今度こそ!」と尾行を再開した。
 大林駅から三つ目、平雀さんがよろめくように電車を降りる。そっと後ろに続いた。南口の改札を出て、コンビニで飲み物を買う平雀さん。わたしは一定の距離を保ちながら彼の後をつけていった。今日は久しぶりの快晴で、雲ひとつない青い空から太陽がまっすぐに降り注ぎ、黒尽くしのわたしを照らした。完全に浮いてしまっている。これならまだ、明るめのジャージ上下のほうがましだった。
 気を取り直して、電柱から電柱へ、身を潜めながら尾行を続けた。平雀さんは、ナップサックを右肩に背負い、カクンカクンと微妙に左右に揺れながら歩道を歩いていく。あたりに注意を払いながら追っていると、ある人影に気がついた。ネルシャツにジャケットを着た学生風の青年が、わたしの後ろをずっとついてきているようだった。平雀さんの後を追って角を曲がる度に振り返ってみたが、やはり青年は時々顔を上げてこちらの様子をうかがいながら歩いていた。
――尾行に、尾行?
 わたしは角を曲がったマンションのエントランスに素早く入り、青年が来るのを待った。青年は角を曲がるなり見失ったわたしの姿を探して、あわてて周りを見回している。
「あなた、なにか用ですか」
 サングラスを取ってエントランスから出ていき、仁王立ちをした。
「うわあっ! あ、いや……」
 青年は前髪をかきあげ、挙動不審な様子でおたおたしている。背はまあまあ高くて、女の子よりもまつげが長い。
「なによ、ハッキリ言いなさいよ、気持ちの悪い」
「あの……」
 彼は意を決したようにこぶしを握り、まっすぐわたしの目を見て口を開いた。
「前から気になっていたんです。大学に行く電車の中でいつも見かけて。でも今日は制服じゃないし、なにかあったのかなと思って。変なことしてごめんなさい」
 わたしは予想外の返事に驚いて、額に落ちかけたハンチング帽を手に取った。急に恥ずかしくなって帽子を顔にあてて隠した。父親の髪からついた古い油のようなにおいが鼻先に広がった。そして、ハッと顔を上げた。あたりを見回して、平雀さんを見失っていることに気がついた。
 わたしは、「一生恨むからね!」と大学生を指さして、歩道を一目散に走った。並木道を抜けて、中学校のグラウンドの前も抜けてひたすら走った。道が分かれる度に注意深く先をうかがったけれど、平雀さんの細い肩をどこにも見つけることができなかった。あの男さえ声をかけてこなければ、うまくいったのに。撃沈。

  追跡日誌 十一月二十五日(金)
 今日は忘れられない一日になった。
 昨日もその前も尾行をこころみたのだけれど、その度に邪魔が入った。お年寄りに道を聞かれて案内したり、警察に職務質問されて一目散に逃げ出したり。おかげで学校に何度も続けて遅刻したため、親にもこっぴどく叱られてしまった。
 平雀さんと、縁がないのかなと思ってしまう。恭子や聡美たちは、クラスの男の子とか、学祭で出会った男子高校生とか、それぞれ適当な相手とつきあっている。「尾行するなんて異常」って言われたけれど、わたしはただ、毎日どんなところで時間を過ごして、どんな人たちとどんなものを食べているのか。彼の素性が知りたいだけなのだ。それが、異常なこと?
 でも昨日の下校時、恭子たちに、もう潮時だと感じていると弱音を吐いてしまった。そして、この追跡日誌も、今日で終わりにしようと。
 だから今日は、最後の尾行開始だと張り切って家を出た。
 今朝の阪三電車はまた混雑していた。もう尾行ファッションはやめて、普段の制服姿で電車に乗りこむ。恭子と聡美が頼んでもいないのにまた応援にかけつけてくれて、唐塚駅でいつものように、一番後ろの車両に乗り換える。平雀さんはドアにもたれかかっていて、わざとかそうでないのか、こちらを見ないようにしている。わたしは今までの反省をふまえて、すぐに出られる座席の端の前に立った。大林駅で恭子と聡美がガッツポーズをしながら降りていくと、腰のあたりになにかがあたり、動き出した。振り返ると、前に百円をもらった痴漢のおじさん、そしてその手を必死で払っている大学生の青年が、ぴったりわたしの後ろをガードしていた。
 残り三駅、二駅、あとひと駅。平雀さんの肩を見つめた。平雀さんはドアの窓に額をつけて、肩を上下させながらゆっくりと息をしている。相変わらず伸ばしっぱなしの油っぽい髪がうなじに張りついていて、彼が着ている明るい水色のトレーナーには、肩の部分に妙にリアルなライオンのアップリケがつけられていた。
 どうして好きなんだろう。どうして放っておけないんだろうか。
 細く折れそうな首を眺めながら考える。もうすぐ彼が降りる三駅目だ。わたしは鞄を胸によせて、降りる態勢を整えた。その時、平雀さんの斜め後ろへと、紺色の野球帽をかぶった中年男が乗客のあいだを縫って割りこんできた。右後ろから人に押されて、平雀さんが居心地悪そうに肩をゆする。わたしは、つま先立ちをして二人の様子を見守った。ドアが開く瞬間、野球帽が自分のウェストポーチからなにか光るものを取りだし、平雀さんのGOKIGENナップサックにおおいかぶさっていった。そしてドッと人が流れ出た途端に、ナップサックから財布のようなものをつかんで人波にまぎれていった。スリだ! わたしはすぐ後ろにいる二人に叫んだ。
「おじさん、お兄さん、野球帽の男を捕まえて! スリなのよあいつ!」
 三人で人波に飛びこんでいき、野球帽の男を探した。反対側のホームに向かう階段を下りようとしていた紺色の野球帽が目に飛びこんできた。
「あいつだ!」
 わたしが指さした瞬間、足の速い大学生が階段を駆け下りていき、その後ろを痴漢のおじさんが追った。二人の見事な連携プレイで、野球帽を階段の途中で捕まえることができた。すぐにわたしが野球帽のジャンパーのポケットを探ると、見覚えのある二つ折りの茶色い財布が出てきた。
「あとは任した! わたしはこの財布、返してくる」
 おじさんと大学生に手を挙げて、わたしは改札に向かって走り出した。歩道を走っていくと、メモ帳が落ちていた。そしてその二十メートルほど先には見覚えのあるタオルハンカチが。その先に丸まったナイロンパーカー。平雀さんが電車の中で、落ち着きなくナップサックの中から出し入れしていた私物が、点々と落ちている。わたしはそれらをひとつずつ拾い上げながら、道をたどっていった。並木道を抜け、中学校のグラウンドの前を抜け、スーパーの角を曲がる。すると目の前に、落とした自分の荷物を拾い上げようとしゃがみこんでいる平雀さんの頭が見えた。
 思い切って「あの」と声をかけた。平雀さんが薄紫色の顔を上げて、わたしを見つめた。
「財布と、そのほか色々、落ちてましたよ」
 わたしの言葉に平雀さんは立ち上がり、心許ない足取りでこちらに近寄ってきた。
「ありがとう」
 と薄笑いを浮かべて荷物を受け取る。
「全然、GOKIGENじゃなくなっちゃいましたね」
 わたしがそう言うと、平雀さんは「ああ」と少しだけ笑って、薄くなったナップサックを持ち上げた。わたしは急に落ち着かなくなってしまい、言い訳をするように話しかけた。
「あの、わたし。前から気になっていて。なにをしてる人なのかなって」
 平雀さんは何回も瞬きをして、小さな咳払いをした。
「それで、ぼくを尾行したり、大学生に追いかけられたり、職務質問をされたり?」
 全部、知ってたんだ。
 先月風邪で高熱を出した時のように、どうしようもなく顔が熱くなった。
 平雀さんは道の向こうを見て、「阪三自動車整備工場」と看板のかかった古い建物を指さし、「あそこだよ、ぼくの職場」と言った。
 荷物をナイロンパーカーにくるむと、彼はそれを脇に抱えて顔を上げた。
「がっかりした? 平凡で」
「いえ、そんなことないです!」
 わたしが声をつまらせて言うと、平雀さんは嬉しそうにうなずいて、不器用に顔を曲げて笑ってくれた。
「もう行かなきゃ。ありがとう、荷物」
 平雀さんは二回、三回とわたしに会釈をして、整備工場に向かって歩いていった。今日のトレーナーの背中にはでかでかと、〝VIVA! TAKAOSAN〟とプリントされていた。

  新・追跡日誌 十二月二日(金)
 ちょっとあいだが空いてしまったけど、「平雀さん帰り道の尾行作戦」を開始して一週間。順調に続いている。
 最近新たな悩みがある。尾行中にふと後ろを振り向くと、サササッと電柱に身を隠す大学生、その後ろには相変わらず額をテカらせている痴漢のおじさん、さらにおじさんの後ろには警察官、その後ろには道を尋ねようとしているお年寄り、その後ろには……。平雀さんとわたしの後ろに長蛇の列ができてしまっていて、ものすごく目立つことだ。まあ気のせいならいいけど。いってきます! 続きはまた帰ってから。

 

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