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ドライバー 中島さなえ

 

vol.3 bike

  ****4カット

 ボックスの中で揺れているクレパトピザのことを考えると気が気ではなかった。ふっくらと焼き上げられたドゥは水分を失いつつあり、チーズがセメントのようにこびりついている。モロヘイヤとイチジクはしなしなになり、香ばしいかおりもとっくに消え去っているだろう。ベストな状態にはほど遠かった。
 本間はバイクを操りながらひとり癇癪を起こし、自分の太ももを何度もグーで殴りつけた。
 本通りを駅に向かって戻っていくと、消防車が表に並んだ巨大な建物が見えてきた。消防署の左隣には、ベージュの三階建てのビルが建っている。
 駐車場に面した道にバイクを停め、入り口の自動ドアから中へ入ると、制服を着た受付嬢が本間を迎えた。
「ピザハッピーT町店の本間です。池原様は」
「先生は奥の講堂においでです。廊下をまっすぐ進んで、突き当たりの部屋にお入りください」
 抑揚のない声で受付嬢は言い、入館証を本間に渡した。美しく磨き上げられた廊下の床を進んで突き当たりの重い扉を開けると、だだっぴろい講堂の中でなにかの上映会が終わった直後のようだった。フロアには赤とグレーのボーダー柄のつなぎを着た二百人ほどの人々が綺麗に整列して座っている。映像が終わって真っ暗になったスクリーンを見つめて、会場の人々は咳払いひとつせず微動だにしていなかった。
 その時、館内アナウンスが流れた。
〝池原先生にご来客です。百八十一番、ピザハッピーT町店の霊長本間卿です〟
 壇上にスポットライトが当てられ、真っ白なスーツを身につけた長髪の男が浮かび上がった。男は会場入り口に立っている本間に向かって手を挙げた。
「霊長本間卿、壇上へ」
 本間は保温バッグを片手に急いで通路を横切り、壇上へと続く階段を上った。
「ピザハッピーT町店です。東T町四番地の加藤様より池原様に、クレパトピザ三切れが届いています」
「霊長加藤卿より」
 池原が両手を広げ、演説台のマイクに向かってひときわ大きな声を上げた。本間が台にピザ箱を置いて一歩下がると、池原はフタを開けてピザを一切れ取り、高々と掲げた。
「百八十の霊長各位、この麺麭が見えるか」
〝世界は均等に〟
 朗々と響き渡る池原の言葉に、会場内の群衆が一斉に声を揃えた。
「百八十の霊長各位、この麺麭の百八十等分が見えるか」
〝世界は均等に〟
 池原はピザを演説台の上に置くと、ナイフを取ってうやうやしく頭を下げる。スクリーンいっぱいに池原の手元がアップで映し出された。真っ白な紙の上に載せられた一切れのピザをナイフで細かく刻んでいる池原の手は、プルプルと小刻みに震えている。
 本間は池原の後ろから首を伸ばしてのぞきこみ、細かく分断されていくピザの様子を不安気に見守っていた。池原が刻んでいくたび、モロヘイヤとイチジクがパラパラと脇に落ちていった。
「ああ、クレパトのトッピングが……」
 本間が思わず漏らした言葉を、演説台のマイクがかすかに拾った。すると、静まりかえった会場内にさざ波のようにざわめきが広がった。
〝いまなんと言った〟
〝霊長本間卿はなんと〟
〝トッピ……〟
〝トッ……ング、と〟
 池原は本間の顔をグイとにらみつけると手元に視線を戻し、ピザにナイフを激しく叩きつけていった。
〝恐ろしい言葉を、あの男は口にした〟
〝池原先生に向かって、恐ろしい言葉を〟
 会場内のそこかしこから上がる声がからみあい、場内に不穏な空気をもたらしていた。
 本間は目の前でピザが切り刻まれていくさまにジッと耐えていたが、やがて池原がナイフをもう一本取って両手でみじん切りをし始めると、「待ってください!」と叫んで彼の腕をつかんだ。
「霊長本間卿、なにをするのか」
「お客様、おせっかいかもしれませんが、そんなに細かくしてしまうとピザの味がひとつもわからなくなります」
「ここではこれを百八十等分して、みなで均等に分け合うのだ」
「いえいえ、この大きさですよ? お客様が残りの三切れを全部独り占めしてもいいくらいです」
 その瞬間、本間の足下でドタンッと大きな音が鳴った。床に倒れた池原はからだを突っ張らせて痙攣し、ぶくぶくと泡をふいて白目をむいたまま動かなくなった。
 会場を見ると、座っていたボーダー柄の人々がひとり残らず立ち上がり、壇上の本間に向かってゆらりゆらりと近づいてきていた。
〝均等だったのに〟
〝ずっと均等だったのに〟
 本間はピザ箱を保温バッグに入れてしっかりと胸に抱きかかえると、一歩、また一歩と後ずさり、一気にきびすを返して幕裏へと走った。
 ドドドドドガガガガガガガガ。
 椅子をなぎ倒して段を駆け上がってくる轟音が講堂内を揺らした。壇上の裏手から廊下へと抜けると、会場の扉が次々に開いて、ボーダー柄の群衆が雪崩のように廊下へと流れ出てくる。本間は駆け足で受付の前を通り過ぎ、自動ドアを抜けた。
 道に停めていたバイクにまたがってエンジンをかけようとしたが、会場から次々と飛び出して来た人々にボックスをつかまれて思い切り倒された。本間はバイクから転げ落ち、急いで立ち上がって本通りを一目散に走り出した。通りを渡って振り返ると、ボーダー柄の人々がバイクに群がり、巨大なハンマーでバイクをめちゃくちゃに打ち付けていた。
 あわれなバイクの姿を横目で見ながら、本間は本通りから脇道へと駆けていった。店のある中通りを目指してひたすら走っていく。その後を、大勢のボーダー柄が道いっぱいに広がって押し寄せていた。町の人々はボーダー柄の一行に気づくと、吸い寄せられるように軍団へと加わり、本間を追う数はみるみるうちに増えていった。本間は道を縦横無尽に駆けながら、頭の中で素早く計算していた。
 バイク一台三十万円。時給九百円×七時間(休憩一時間差し引き済)で六千三百円。×週三日・月十四日で八万八千二百円。三・四ヶ月で完済。
 走っても、走っても、本間を追う群衆の数は膨れあがるばかりだった。
 シフトを週四に増やしたとして、二・八ヶ月!
 本間は店に行きつく間もなく、中通り沿いの建築中のビルを見つけて飛びこみ、養生シートの中へと滑りこんだ。

*****5カット

 地面を蹴るスニーカーの下で、土埃やセメントのくずが宙に舞っている。ビルの奥半分は形づくられているものの、誰ひとりとして作業している気配はない。見る限り、建設途中でうち捨てられたもののようだった。建物にかけられたシートが午後の日差しを吸い上げ、埃まみれの柱や足場をボンヤリと照らしていた。
 外では本間を追ってきた群衆がビルを取り巻きうごめいて、シート越しに影を作っている。しばらくすると、カバーをめくって中をのぞきこむ者や、ビルの枠組みに上りはじめる者もいた。
 本間はようやくビルの入り口らしき扉を見つけたが、鍵がかけられているのか、押しても引いても動かない。扉を何度も叩いていると、ガチャガチャと金属のこすれる音がして少しだけ扉が開いた。暗闇の中に血走った目が浮かんでいる。唸っているような押し殺した声が中から漏れ出てきた。
「だれだ」
「ピザハッピーT町店の本間と申します」
 本間はピザ箱を顔の横に振ってみせた。
「ピザなんか頼んでいない」
「ただいま配達中なのですが、中に入れていただけないでしょうか。せめてこの箱だけでも」
 本間が外をしめすと、枠組みからナイフでカバーを切りつけている者、カバーを押し上げて中へ這ってくる者、数百人がいっせいに押し寄せてきたせいで、建物全体が激しく揺れ始めていた。
 その時、午後四時を知らせる「ひと息放送」の軽快なテーマソングがあたりに流れ、押し寄せていた群衆はピタリと動きを止めた。
〝♪ちょっとひと息リラァックス お姉ちゃんも子猫も赤ちゃんもじいちゃんも ちょっとひと息リラァックス♪〟
「今のうちに中へ入りなさい」
 扉が開き、群衆と同じくその場で動きを止めていた本間は否応なしに腕をつかまれ、中へ引っ張りこまれた。カーキ色の鳥打ち帽をかぶり、ナイロンジャケットをはおった小柄な老人が、しっかりと中から鍵をかけている。どこかで怪我をしたのか、左手首に包帯を巻いていた。部屋の奥に取り付けられたエレベーターの戸を開くと、中に吊られているロープへとしがみつき、器用にスルスルと下へ降りていった。本間は保温バッグを抱えて、老人の後に続いた。
 降りるとそこは改札口で、中のホームへと続いている。
「昔、T町はここに地下鉄を作ろうとして頓挫した」
 鳥打ち帽の老人はホームから線路へ降りて歩き出した。「T町からM市街へ、県境までをまっすぐ突き抜ける利便性のいい線になるはずだった。しかし二十一年前のあの夏を境に、建設と駅前開発はパタリと止まった。まあ、君にとっては生まれる前の話かもしれないが」
 地下道はあかりひとつついておらず、老人が取り付けたらしい松明がずっと先の壁にまで点々と光を放っていた。ネズミでもひそんでいるのか、時おりキウキウと耳を突き刺す鳴き声が地下道に響き渡る。
「なぜ追われているのかはだいたい察しがつく。以前にも君のような男がひとり逃げこんできた」
「その男性は、どこへ?」
「いま君の目の前にいるよ」
 本間はなんと返せばいいのかわからず、足下の暗くしめった地面を見つめ黙って歩き続けた。老人の言葉の意味を考えようとする度に、頭がきしむように痛む。
「あの、お客様のお名前は?」
「客? 俺は客なんかじゃない」
「よかったら、召し上がりませんか? 残念ながらすっかり冷めてしまったのですが。できれば上にオリーヴオイルを少量かけてホイルで包み、二百四十度から二百五十度のオーブンで加熱すれば美味しく召し上がっていただけます」
 老人は立ち止まり、差し出されたピザをしばらく黙って見つめていた。やがて本間の目をまっすぐ見つめ、「いただこう」と言って、一切れ取ろうと手を伸ばした。チーズがかたまってなかなか切り離すことができず、本間が片手を添えてようやく切り取ることができた。
 ピザを二つに折って、丸ごと口の中へと押しこむ。静かに咀嚼しているあいだも、一定の速度で地下道の天井から水がしたたり落ちていた。
「とても美味しかった。ありがとう」
 ランプを手にした老人は、本間の前に立って再び歩き出した。
「君は」
 老人は咳払いをして、腰のベルトにかけていたペットボトルの水を何口か飲んだ。「君は、町中のあちこちへ届け物をして気がつかなかったか? この町の異様さに」
「T町の?」
「こんな状況だというのに、誰ひとりとして警鐘を鳴らさない。ある者は快楽に没頭し、ある者は別人になりきり、引きこもる者、神頼みになる者。方法は違えどみんなが、〝なにも変わらなかったこと〟にしている」
 二人は地下道をどんどん奥へと進んでいった。保温バッグの中で、一枚きり残ったピザがカサコソと音を立てて箱の中敷きの上を滑っている。
 老人はふと立ち止まって本間を振り返った。そして、哀れむような、おびえたような目で本間を見つめた。
「よく平然としていられるもんだ」
 二人はそれから無言で長い間地下道を歩き続けた。老人の言葉の意味が理解できない本間には、長く永遠に続く道のように感じた。
 ようやく行き止まりにたどり着くと、老人は天井を指した。丸い扉から空中に、鉄製のハシゴがぶらさがっている。
「ここから出ると、河川敷だ」
「どこの河川敷ですか?」
「M市とT町の境になっている川だ」
 老人は腰をかがめ、本間に背中へ乗るよううながした。保温バッグを抱え直した本間が遠慮がちに老人の背中へまたがると、天井がぐんと近づいてきた。ハシゴをつかんで自分のからだを思い切り引き上げる。
 本間は自分の足を支えている老人に向かって何度も礼をのべてから、扉を押し開いた。一気に光が差しこんできて、まぶしさに固く目をつむった。

  ******6カット

 すっかり夕景になった河川敷にはやわらかな風がそよぎ、赤や桃色のコスモスがそこかしこに花を咲き散らしていた。
 本間は保温バッグを下ろし、草むらの上に座った。川ではアオサギが石を避けながら小さな魚を探して、静かに浅瀬を横断している。
――なにも変わらない。なにも変わらないように見える。
 本間はどうしていいかわからず、保温バッグからピザ箱を取り出した。湿気てすっかりしなしなになったフタを開けてみる。
 中をのぞいて思わず顔を歪めた。本間の腕の中にある最後の一切れは、見るも無惨な姿になっていた。
 クレオパトラが愛したモロヘイヤは水分を失って黒っぽく、イチジクは恥ずかしさからからだをひねるようにして小豆色に。ピザのトッピングはどれもすっかり変色してしまい、ドゥはコンクリートのようにカチカチになっている。
 本間はピザを手に取り見つめた。やがて迷いを振り切ると、口の中へゆっくりとピザを押しこんでいった。かたまったチーズのあいだに前歯を割り入れて何度も咀嚼し、やがて一気に飲みこんだ。

 

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